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【KEIO Report】普通部百二十五年を迎えて

2023/08/28

  • 森上 和哲(もりかみ たかあき)

    慶應義塾普通部長

慶應義塾普通部は、本年百二十五年の節目の年を迎えました。百二十五年とは1898年に慶應義塾の一貫教育制度が確立されてから百二十五年目にあたるという意味です。普通部が多くの方々から支えられながら百二十五年の節目の年を迎えることができたことは本当にありがたいことと感じています。

福澤先生が1858年、築地鉄砲洲に開いた蘭学塾が慶應義塾の起源です。その後蘭学塾より英学塾に転向し、1868年に時の年号をとって塾の名称を「慶應義塾」と定めました。1890年には大学部を発足させ、私立として最初の総合大学になりました。この大学部の設置に伴って、それまであった課程を「普通部」と呼ぶことになったのです。この名称は、専門学に対置する概念である普通学からとられたものだと考えられています。「普通」という言葉は「ありふれた」、「一般的な」という意味ではなく、「あまねく行われる」、「人間なら誰でも身につけておかねばならない基本的な」という意味を持っています。

その後、義塾は1898年に学制を改革して幼稚舎、普通部、大学部から成る16年間の一貫教育制度を整えました。普通部は義塾の中で中等教育段階として位置づけられ、現在はこの年を中学校としての普通部の起源としています。

1920年、大学令により大学部(5年制)は大学(3年制)として新たに発足し、このとき予科(高等学校の前身)を加えました。1947年からは、中等部、農業高等学校(志木高等学校の前身)、女子高等学校が相次いで設立されました。その後1990年にはニューヨーク学院、92年に湘南藤沢中等部・高等部、2013年に横浜初等部を加え、現在の一貫教育体制の形となりました。

三田山上にあった普通部はその後1917年に綱町の新校舎に移りましたが、1945年に空襲によってその校舎は焼失してしまいました。このため日吉移転までのおよそ7年間、天現寺の幼稚舎へ身を寄せることとなりました。天現寺の校舎は当然ながら大変手狭となり、多くの事柄が問題になりましたが、両校常に和衷協力の精神をもって互いによく忍んだと伝えられています。

1951年から翌年にかけて谷口吉郎博士の設計による校舎が完成し、普通部は日吉に移転しました。1998年には「普通部百年」を迎え、これを機に学級人数をそれまでの48名から1年生は20名(現在は24名)、2・3年生は40名に変更し、特に1年生では少人数教育を実践する環境が整いました。行事面では普通部卒業生がご自身の来し方行く末について語る「目路はるか教室」を開始し、現在では労作展と並ぶ行事となっています。2008年には外部評価のための組織として「長期構想委員会」を設置し、外部の有識者の方々から普通部の学校運営や教育の方向性について長期的視野に立ってのアドバイスをいただく場としています。2013年および2015年からは、それぞれフィンランド、オーストラリアの学校との交流を開始し、普通部生にとって国際交流を行う貴重な機会となっています。

このたび百二十五年の節目を記念して、6月8日に日吉記念館において「慶應義塾普通部百二十五年記念式典」を開催しました。普通部生、保護者、普通部の卒業生をはじめ、岩沙弘道義塾評議員会議長、菅沼安嬉子慶應連合三田会会長、塾長、常任理事、各一貫教育校学校長等の義塾関係者のみならず、普通部を支えて下さっている地元のみなさまも多数ご来場され、およそ2500名の方々にご出席いただきました。

式典は、塾歌斉唱に始まり、普通部長による式辞の後、伊藤公平塾長からの祝辞をいただきました。塾長からは、普通部時代の思い出に続いて、普通部生には志をもって全世界の人々と交わり社会をよい方向に導いていってほしいというメッセージを頂戴しました。つづいて、普通部生が制作した学校紹介ビデオを上映して現在の普通部の様子をご覧いただき、目路はるか教室初代座長の平井俊邦君(1958年卒)、普通部同窓会会長の近藤勇樹君(1974年卒)より祝辞をいただきました。式典後半では、作曲家の千住明君(1976年卒)が作曲・編曲、作詞家の澤地隆君(1977年卒)が作詞を担当した百二十五年記念歌「その先へ」の合唱が、在校生・卒業生合同オーケストラの演奏により行われました。80名のオーケストラと20名の合唱隊による壮大な演奏が記念館に響き渡りました。この式典では多くの楽曲が演奏されましたが、千住明君以外に、坂入健司郎君(2004年卒)、新虎丸君(2018年卒)も指揮を執ってくれました。その後、映像作家の奥山由之さん(2006年卒)、史上最年少で司法試験に合格した大槻凜さん(2018年卒)のお言葉をいただき、最後に普通部生代表・小池弘一くんの言葉があり、普通部の歌を斉唱して約1時間半の式典は閉式となりました。

当日、記念館2階のホワイエでは普通部の歴史を紹介した特別展示も行いました。古い資料も多く展示され、ご観覧の方から「これがまだ残っていたのか!」と驚きのお言葉も頂戴しました。多くの来場者の皆様にご覧いただき、天候にも恵まれ、記念すべき式典の1日を無事終えることができました。

百二十五年記念行事は、このあと11月の目路はるか教室九州講座、来年3月の三田演説館での普通部演説会などをさらに予定しています。

この百二十五年を機に普通部は、慶應義塾の目的、そして義塾の基本精神である「独立自尊」を基盤に据えながら、義塾の前期中等教育を担う教育機関として、「労作教育」を旨として教育活動を営んでいくという方向性を定めました。「労作教育」とは、受験のない豊かな時間の中で、自分の心身を思う存分に活動させて、その中で自ら考え、自主的な選択や決定ができるようにする教育のことです。この労作主義の教育のもと、普通部は自ら考え自ら学び、仲間とともに新たな一歩を踏み出すことのできる普通部生の育成に尽力していきたいと考えています。(文中の卒年はすべて普通部の卒業年)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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