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奥山由之:生みの苦しみを重ねて 映像表現の第一線へ
2022/10/17
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インタビュアー竹内 熙一郎(たけうち きいちろう)
NHK秋田放送局・塾員
自分だけに見えている側面を撮る
──奥山君と僕は慶應普通部からの同窓で、塾高では映画を一緒に自主制作したりしましたが、キャリアの出発点は写真家としてですね。写真を撮り始めたきっかけを教えてください。
奥山 写真に関心を持ったのは大学時代です。映画用の絵コンテを描くためにロケ地の風景を撮るようになったのが最初です。写真を切り取る瞬間の想像力がつくり出す余白や、見せすぎない部分があることで見る人の捉え方が変わるところに面白さを感じました。
──今年は、デビューから12年間のクライアントワークをまとめた500ページを超える写真集『BEST BEFORE』を出版しました。クライアントワークとはどのようなものなのでしょうか。
奥山 個人の制作に近い少人数でつくる写真やアート作品、広告のような商業写真までさまざまです。この12年はこうした仕事をおもに手がけてきました。フィールドが一つでないことは、自分にとっていい状態だと思っています。まるでいろいろなキャンバスに囲まれながら、1枚1枚に少しずつ色を塗り足していくイメージです。すると「前はどう描いてたっけ?」と、いつも新しい気持ちで挑戦できます。
──NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のメインビジュアルのような鮮烈なイメージとは対照的に、『BEST BEFORE』や写真集『BACON ICE CREAM』(2016)ではさりげない風景を切り取ったような写真が印象的でした。普段、どういうタイミングでシャッターを切るのでしょうか。
奥山 例えば、ポストカードになるような美しい夕日やきれいな街並みは、世界を一面的に捉えたもののように感じます。ただ、僕たちが「きれい」と感じるのは、「きれいじゃない」という真逆の現象があるからこそです。おいしいステーキには、その一方に牛が殺されているという背景がある。世の中の全てのものは表があれば必ず裏があり、その間に奥行きをつくると側面が現れ、次第に多面的になっていきます。僕が撮りたいのは、その中に現れる「自分にしか見えていない側面」です。その側面が僕にだけ垣間見えたと感じられた瞬間にシャッターを切ってきました。
写真集の愉しみ
──『BEST BEFORE』までに18冊もの写真集を出版してこられましたが、奥山君自身も2000冊以上の写真集を収集するコレクターだそうですね。
奥山 もともと写真集を見ることが好きでした。写真の魅力は1枚ずつ見ていくことにもありますが、編集の手が入ると流れや構成が生まれ、1冊にまとまることでその流れ全体を感じ取る楽しみが生まれます。
僕には写真で表現することと写真集をつくることは全く違う仕事という意識があります。自分でレイアウトするのも好きなので装丁のアイデアも極力自分で出します。本というものは残しておきたくなる不思議な物体です。自分の写真集を数年後に見返した時に、写真が持つ本質的なメッセージに初めて気付くことも少なくありません。自分の作品を写真集で残しておくことはちょっとしたタイムカプセルみたいな感覚です。
本をつくっている時は写真の選び方、配置やデザイン全てに自分の中で理由が付かないと決断できません。ですが、「理屈ではわからないけどこれだ!」というものも残るのです。このわからない部分を残しておくことが大切。次の作品をつくる時に、前の作品を当時とは違う感覚で見てみると「こういうことだったのかも」という客観的な気付きがあったりするからです。そこで「自分はこういう作家なのかも」とそれまで気付いていなかった自分らしさに思い至ったりします。
──そこには不意に当人の生き方みたいなものが現れますよね。
奥山 そうですね。他方でつくることばかり追求していると、〈人生=つくること〉になってしまいます。この2つが近づきすぎると精神的なバランスが維持しづらくなる。自分と作品を一体化させてしまうと、つくったものが伝わらなかったり、批判されたりした時の苦しさは大きいです。
じつは『BEST BEFORE』が完成した時、自分を囲んでいるキャンバスの中でも“クライアントワークにおける写真”というキャンバスには新しく塗り足す余白があまりないなとも感じました。
──それはやり尽くしたという感覚でしょうか?
奥山 どの写真もいろいろな人との共同作業でつくってきたものでした。その都度、描き方、画材や道具も色々変えてきたつもりでしたが、その結果、クライアントワークの写真表現においてはひととおりのものは描いたと思えたのです。
三谷幸喜作品の衝撃
──奥山君は写真の仕事とともに、米津玄師さんや星野源さん、小沢健二さんといった著名アーティストのミュージックビデオ(MV)も手がけてきました。
奥山 今は来年出版する写真集づくりとともに、MVなどの制作も行っています。『BEST BEFORE』を出版した後の半年ほどは自分へのご褒美として、見たかった映画を見たり、読みたかった本を読んだりして過ごしていたのですが、インプットしたらやはりアウトプットしなければいけないという本能的な感覚がありました。
最近は映像(動画)をつくるほうが面白いと感じていますが、それは写真よりも関わる人数が多いからかもしれません。わからないことが多い分、衝突もあり、もがくことも多いのですが、写真を始めた頃に感じていた“人生の実験”に再び挑んでいる感覚もあります。
ものをつくるのは人とのコミュニケーションの中での作業です。インプットが必要なのは、直接アウトプットにつなげるというよりも、誰かがつくった創作物を見ることでコミュニケーションの補助線とするためです。インプットの中には、人と人がものをつくっているという前提があります。
──奥山君とは塾高時代からともに映画をつくったりしていましたが、当時から映像への興味が強かったのでしょうか。
奥山 そうですね。中高生の頃はMTVをよく見ていました。90年代前半から2000年代前半にかけて、後にMTV世代と言われるスパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリーやジョナサン・グレイザーなど、作家性の強い監督がつくる作品に刺激を受けていました。つくり手の創意工夫が演出から垣間見えるのが面白かったのです。
でも、竹内君や塾高の仲間と実際に映画をつくり始めたきっかけは三谷幸喜さんの作品ですね。竹内君は覚えている?
──影響を受けたのは舞台版『笑の大学』(1996年)の映像ですよね。
奥山 そうですね。それから当時、香取慎吾さん主演の「HR」というシットコム(シチュエーション・コメディ)が深夜に放送されているのを国語の大森康雄先生が授業で見せてくれたのも大きかったと思います。これほど緻密に劇を考える人がいて、しかも本人は出演しない。なんてかっこいいんだ!と衝撃を受けました。
──僕たちの憧れの的でしたね。
奥山 その影響を受けて僕たちもワンルームのシットコムをつくりました。その一つが架空の部活動をいくつも設定して、その部室で起こることを5編計30分程度のストーリーにまとめた短編集『ワッショイ!』でした。コンクールに出したりもしましたね。
──当時の映画製作で何が一番印象に残っていますか?
奥山 『ワッショイ!』が映画甲子園でグランプリをいただいたことでしょうか。『ワッショイ!』を撮ったのはたしか夏休みでした。教室の撮影許可が下りず、蝮谷の部室棟で撮りましたよね。男子校のむさ苦しい部室に、10人くらいで汗だくになって。楽しかったけど、あの頃に戻りたいかというと……。
──もう同じことはできませんね(笑)。
奥山 塾高ではその後も「ワンルーム」ものをつくり、僕は大学でも漫画家のオフィスを舞台にした『パニック・コミック』という長編のドタバタ喜劇を撮りました。振り返るとずっと同じことをやっていますね(笑)。
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奥山 由之(おくやま よしゆき)
写真家、映像作家
塾員(2013 政)。写真、映像の分野で表現活動を展開。今年、12年間におけるクライアントワークのみをまとめた写真集『BEST BEFORE』を発表。