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奥山由之:生みの苦しみを重ねて 映像表現の第一線へ

2022/10/17

知らない感情とどう出会うか

──現在の仕事にもコメディの要素は織り込まれているのでしょうか。

奥山 映像にも写真にもユーモアの要素が入っていると思います。写真の場合は、一瞬を切り取るので物語性がないと思われがちですが、その瞬間の前後を感じさせるイメージを追求すると、映像以上に突飛な表現ができます。中高生の頃にのめり込んだコメディの“ウケる”要素は、「こういうことがあったら面白いな」というユーモアの感覚として残っているように思います。

その点でちょうど今つくっている新しいMVは、僕らしいものになっていると思います。今まで日本人がとくに苦手としてきた表現に、ようやく挑戦できるのではないかという高揚があります。

──そういうユーモアの要素は、依頼主でもあるアーティストともある程度共有しながらつくるのでしょうか?

奥山 最近は完全に任せてもらえることが多いです。もちろん、対話を重ねる中で「ここはこうしたい」とリクエストを受けることはありますが。

写真や映像の仕事を始めた当初は、提案もなかなか通らず、周りから怒られることばかりでしたが、5、6年経った頃から次第に意図を汲み取ってもらえるようになりました。一度共通認識ができると逆に任せられる機会が増えていき、それはそれで今は自分との闘いになっています。

というのも、それ以前は前作を超えるようなものをつくろうという時に、意見が対立する相手は他者だったからです。そういう場合は、相手が何を考えてそう言ったのか、自分は経験則で決めつけていたかもしれないといった反芻がありました。そういう衝突が次第になくなると対話の相手は自分になっていきます。ですが、それではなかなか成長できないので、今は新しいチャレンジができる場所に向かっていくようにしています。

例えば、今取り組んでいるのは映画製作です。僕はまだ商業映画の世界では作品がない新人なので脚本づくりに何年もかかっており、周りの人たちもとにかくうなずいてくれません。それはすごく悔しいのですが、この状態が続いたほうが幸福という気持ちもあります。

とはいえ、今後50年先もつくり続けることを考えると、毎朝「あのシーンどうしよう」と考えることになる。それは決して楽しくないわけではないのですが、つくる過程は本当に大変です。依頼をいただくのは有り難いことですが、「またあの感じを味わうのか」とも思います。

でも無難なものをつくった時のほうがよほどつらい。それはただ体力と時間の消耗でしかないからです。そういう時は「自分の人生って何だろう」と考えてしまう。やはり、本気で向き合って知らなかった感情に出会えることが人生だろうと思うんです。多くの人と関わり他者と向き合って、どれだけの感情に出会えて人生を終えられるかが、僕のテーマです。

根本の着想源を共有する

──広告やMVの他に、近年は国内ファッションブランド「Mame Kurogouchi」のコレクション映像も手がけていました。どのようなコラボレーションだったのでしょう。

奥山 デザイナーの黒河内真衣子さんからは「こういう考えでコレクションをつくった」という説明を受けて僕も彼女が影響を受けた根本にあるものを同じように感受し、表現してみようと考えました。

「窓」をテーマにした2021秋冬コレクションでは、着想の元となったという堀江敏幸さんの『戸惑う窓』を読んでイメージをつくりました。「ゼラニウム」という、アンドリュー・ワイエスの作品について書かれた文章に着想を得ています。「霧」をテーマにした2022春夏コレクション映像のために、黒河内さんの地元長野の景色を見に行ったり、お寺へ読経を聴きに行ったりしました。どういう映像をつくるにせよ、デザイナーのメッセージとずれないよう、根本のコミュニケーションを間違えないようにしています。

重要なのは“何を撮りたいか”

──奥山君は今も写真をフィルムで撮り続けていますね。フィルムの良さはどのような点にあるのでしょう。

奥山 デジタルには撮った写真をすぐに見られるメリットがありますが、それによってフレームの中だけを凝視してしまい、写っている物事に囚われてしまうデメリットもあります。人間の視野は四角ではないのでフレームの外にある別の可能性を除外してしまうと目の前で起きている生身の出来事を見ていないことになってしまいます。

紙面からは撮影現場の温度感が伝わらないので、写真家も訴えたいことをその場の空気感で判断しないほうがいいと思うのです。その点、フィルムは現像などの時間が入ることで、冷静な状態で見直すことができます。デジタルでもフィルムと同じ効果を再現するのは技術的に可能ですが、僕にとってそれはどうでもいい。重要なのは「何を撮りたいか」です。機材選びも同じで、目指しているものを撮るために三脚を使う場合もあれば、インスタントカメラで撮る場合もあります。

──映像ではどうでしょうか。

奥山 映像は編集が肝なのでデジタルのほうが適しています。僕の頭の中のイメージを大勢のスタッフと共有することは難しいので、今僕らは何を目指して撮っているのかという共通認識を持つことを大切にしています。それが仕上がりの強度につながるからです。映像現場は時間がかかるので、不安が募ると適切な演出を引き出すのが難しくなる。その点でも、映像はデジタルのほうが向いていると感じています。

──スタッフと共通認識を持つために、どのようなことを心掛けていますか。

奥山 まずはとにかく、僕がその作品をどれだけ魅力的に思っているかを切実に説明します。関わる人たちが自ら楽しんで積極的によくしたいと思ってくれることが大切だと思うからです。そのために、人数が多い現場でも撮影前に自己紹介してもらい、1人1人の名前をできるかぎり覚えるようにしています。全員に参加している意識を持ってもらうこと。それからどんな窮地でも、楽しそうにすることですね。

──イライラすることはないですか?

奥山 逆にそういう状況も楽しむようにします。するとスタッフも、「この人、とりあえず楽しそうだから、しょうがないな」と難しい注文にも応えてくれることがあります。そういうことがないと、現場で奇跡は起きません。

強い思いを少数の視聴者に

──今、取り組んでいる映画づくりは長編作品になるのですか?

奥山 そうです。6年ほど前から準備していますが、なかなか納得のいく台本ができず苦心しています。

──台本もご自身で書いているのですね。

奥山 プロットや原案まではつくり、そのプロットをロングプロットにしていく過程で脚本家の方に入ってもらいました。脚本家やプロデューサーと打ち合わせを繰り返し、どうすればよくなるかと練り続けています。今、ようやくセリフを付けていく段階です。

──僕もTV番組をつくる仕事をしていますが、今後、どういうコンテンツが増えると世の中にとって良いと思いますか?

奥山 逆説的ですが、制作の中心にいる少数の人たちの強い思いやどうしてもこれを伝えたいという熱意が、少数の人に向けてつくられた作品が増えるといいなと思います。そういうものこそ、結果的に多くの人の心に伝わると思うからです。

僕が昔見ていたMTVの映像からは、これ絶対素敵だと思うからつくるんだ!という作家たちの強い思いが伝わってきました。僕はそういうものに人生を変えられたので、これからもそういうものが増えるといいなと思いますし、僕自身もそういう作品をつくり続けたいと考えています。

──本日は有り難うございました。

(2022年8月6日、オンラインにより収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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