【その他】
【小特集・関東大震災と慶應義塾】関東大震災と福澤諭吉
2023/08/21
「大震災所感」
その林が満51歳の時に関東大震災が起こる。彼の目に震災時の日本はどのように映ったのであろうか。
林はまず震災の被害を概観した上で、義塾の被害が甚大なものでは無かった幸運を祝し、ここに1868年の維新の混乱時に、慶應義塾が学問を絶やすことなく継続し、その年の中元の祝日に「文運の地に墜ちざる」こと、つまり学問を絶やさずに済んだことを祝った故事を想起して、「類似の感慨」を覚えると記している。
そして、「今回の大災厄」から何を学ぶべきかを論じていく。天災を前にすると、人間はちっぽけな無力の存在として自らを憐れむしかないと諦めがちだが、「自然を征服するは文明の使命である」と林はいう。「征服」の最大の目標は地震の予知であろうが、これは「当分不可能」と見込み、そうであるならば、「平素より耐震の工夫を完うして、地震の災害を極度に減少するは、今日の科学を以てしても、為し得らるべき筈である」として、今日の科学水準で最大の努力をしてきたであろうか、と問うのである。
地震なき国の建築法を漫然我地震国に輸入し、特殊の考究を為すに密ならざるが如きは、学者怠慢の罪と称すべく、正に人事の尽すべきを尽さざるものである。更に火災に至りては特に然りである。
震災後の日本では、「天譴(てんけん)論」「天恵論」なるものが唱えられた。天譴とは、すなわち天罰。この震災は、日本人の道徳が退廃したことに対する天からのお叱りだというのである。さらにこの災害は世直しの機会として天に与えられたものというのが天恵論である。特に澁澤栄一が東京横浜に明治維新以来発展した「帝国の文化」が「全潰」したとして、「この文化は果して道理にかなひ、天道にかなった文化であったらうか。近来の政治は如何、また経済界は私利私欲を目的とする傾向はなかったか。余は或意味に於て天譴として畏縮するものである」(『報知新聞』 同年9月10日夕)と述べるなど、盛んに「天譴」を唱え、道徳と経済の合一を唱えたことが有名である。では林はどうか。
現在の幼稚なる文明を以てしても、科学の教示する所を十分に活用せんには、人類の幸福を保護するに於ての余地、猶甚だ大なるものがあるに相違ない。今回の災厄に果して所謂(いわゆる)天譴の寓意ありとせば、そは第一に日本人の生活組織の余りに非科学的なるに対する懲戒なりと解すべきである。
林は徹底して科学的であることを求める。地震の危険に対する人類の進歩とは無縁な精神論というべき天譴論を事実上バッサリと排している。さらに朝鮮人虐殺や甘粕事件についても、日本人の「無知」と「沈着性」の欠如、「法を尊重せず」「人命を軽視する」悪弊を厳しく責め、「日本の文明の絶大の汚辱」「最も非文明的なる大不祥事」「故老偏狭の弊風」「人道を無視」と批判の手を緩めない。そして次のように締めくくるのである。
今や我国朝野の全注意は、帝都復興問題に集中せられて居る。復興が目下の急務たるは言う迄もない。されど我国民は此復興事業に努力する傍に於て、更に以上述べ来たりたるが如き各種の弊風の一掃を期せねばならぬ。……若し今回の災厄中に起れる幾多の不祥事が弊風打破の刺激となり、文明の新気風を促し来るとせば、災厄亦無意義ならざるを得る次第である。
林は老いるどころか一層筆鋒の鋭さを増している。結局義塾を卒業して間もない頃から、一徹に日本古来の「弊風打破」と「文明」を追い求める一途な青年であり続け、それは濃尾地震の直後を含めた福澤の生涯の姿勢とも一貫している。
学問を基礎にするということ
本誌の読者は、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ、大災害に際して語られた、自然を前にした人間の無力さと、真偽不明の情報飛び交う一種異常な昂揚感を記憶されているのではないか。しかし、そこで立ち止まり、ただ天を見上げて嘆き、あるいは情報の洪水に身を任せるのが道ではない、と上記の慶應義塾の先人の歴史は語っている。
何が起き、何が足りなかったか。これから解き明かさねばならないことは何か。それを冷徹に指摘する視座の源泉が学問であり、我々が尊ぶものである。林の論考を震災直後の本誌が巻頭に掲げたことは、慶應義塾という福澤創立の学校が、どのような考え方の普及を目指したか、そしてこれからも目指していくかを考える上で、改めて見つめ直して良い重要な意味を持つのではないだろうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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