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【小特集・関東大震災と 慶應義塾】『三田評論』に見る関東大震災

2023/08/21

2023年9月1日、関東大震災から100年という節目を迎える。言うまでもなく、近代以降、首都圏を襲った最大の地震災害で、死者10万5千人余、全潰全焼流出家屋29万戸超に上る(「内閣府防災情報」より)。当然三田、四谷(現信濃町)にあった慶應義塾の2つのキャンパスも大きな影響を受けた。

『三田評論』は本年、創刊から125年となるが、それは即ち、100年前の関東大震災時も刊行されていたということでもある。当時、大正12年9月1日は10月号の編集作業中であったはずであるが、地震のため休刊。しかし、翌月の11月号(第315号)からははやくも刊行されている。復刊した11月号の末には次のような「謹告」が掲示されている(漢字は新字、かなは新かなに改めた。以下同)。

謹告

九月一日の大震にて本誌印刷所倒潰せる為め十月号は休刊本月号は頁数減少発行遅延の止むなきに立至り候段悪しからずご諒察被下度此段謹告仕候也

大正十二年十一月一日 

三田評論編集部

大正12(1923)年11月号は「口絵 災害を蒙れる本塾建物」に始まり、そのほとんどが大震災についての記事で埋められている。直後に塾長(同年11月20日就任)となる林毅陸による「大震災所感」、この号から連載として始まる小澤愛圀による「江戸大地震記」、図入りの詳細な「中央気象台地震報告」、そして、塾内の被害状況等を記した「塾報」といった具合である。またこの号から震災被害の復旧のための「塾債募集」が暫くの間掲げられた。

「塾報」に記された、義塾の被害状況から見ていきたい。東京市内の建物約6割がほぼ火災により灰燼と化したと言われる中、慶應義塾は幸い火災を免れたが、それでもかなりの被害があった。

校舎の被害は、「一、最も損害の甚だしきもの」として次のように書かれている。「大講堂 前面の煉瓦に大亀裂を生じたり、内部は大なる損害なく少しく亀裂を生じたるのみ、前面煉瓦の積直し修繕にて再び使用する事を得べしという」「本館(塾監局煉瓦建物) 前面に大亀裂を生じ屋根瓦全部壊れ落ちたり、明治二十年の建造にかかるものなるが故に再び使用し得るや否や目下調査中なり」「図書館 図書館は地盤堅固なるを以て煉瓦造の建物としては被害軽微なるも八角塔は所々に亀裂を生じたる為半ば以上は取壊しの上積直の必要あり又玄関大階段の突当より左側の壁に亘れる亀裂は其線最も長くスチームヒートの煙突の上部折れ書庫の書籍は尽く床上に墜落散乱して足の踏み所もなく書架の倒れたるもあれど書庫は其構造堅牢なるを以て被害なく又記念室及事務室も無事なり(以下略)」とある。

その他の三田の建物は屋根瓦などが落ちたものの損害は軽微、また四谷の医学部病院については「屋根瓦及壁に損害のありしのみにて入院患者は一同無事」とあり、このことは不幸中の幸いというべきものであったろう。

被害の大きかった三田の建物の損害額は図書館が12万円、大講堂が6万円、塾監局が7万7千円と見積もられた。大講堂は玄関と階段室を中心に大幅な改装が施され、3階バルコニーにはこの時に一対のユニコン像が置かれる。図書館は、前述のように八角塔が「取壊しの上積直の必要あり」ということで再建される。また(旧)塾監局(煉瓦講堂)は「再び使用し得るや否や目下調査中」とあるが、翌大正13年1月15日の強い余震で1階南廊下の天井が崩落、建て直すことになった(現塾監局は15年9月に竣工)。

人的被害は、義塾では教職員の死者はいなかったと言われるが、「本塾教職員及家族中罹災者」「医学部教職員中罹災者」の名前が羅列され、中には「肉親九名死亡」といった記述もみられる。また学生の罹災者数は二千名を超えた。

一方、義塾は罹災民、避難民の受け入れ先になった。9月1日、「(三田の)校舎の大部分は応急の使用に支障なかりし」ということで罹災者収容のために校舎を開放。その後、出動軍隊、文部省、時事新報社に施設も提供する。三田の義塾構内に収容された罹災者は約八百名にのぼり、職員が救護にあたったという。

さらに四谷の医学部・病院は、「罹災傷病者救護のため大活動」をした。救護班3班が組織され、愛宕下、浅草公園、上野公園、東京駅前等に出動。猛火の中必死の救護に当たっている。もちろん被害が軽微であった病院内にも救護所、臨時病室を設け、傷病者を多数収容した。

『慶應義塾百年史 中巻(後)』によれば、各警察署の活動報告の中で、愛宕警察署は「九月二日後十月十日までの各救護班治療人員は、東京帝国大学救護班七十五名、慶應大学救護班七百十八名」と記し、四谷警察署のものには「慶應大学病院は同病院構内に九月一日より十二月初旬まで約二十万人(中略)を治療す」とある。その大活動ぶりがうかがえる。9月30日には罹災患者慰問のため、皇后陛下が大学病院に行啓されている。

* * *

この11月号の巻頭に置かれた林毅陸の「大震災所感」を翻刻・再掲する。この林による文章は、この大災害の実相とそれに伴う人々の行動を非常に冷静に、そして厳しく分析している。今回の被害の95%が火災に因ることから、人力によって被害を5%に減じることができたのではないかと「人災」という語まで使い、なかでも、この震災によって引き起こされた朝鮮人の虐殺と甘粕事件について、激しく糾弾し、「近来の一大不祥事」「日本の文明は絶大の汚辱を蒙った」と言い切り、国民に反省を促している。林の論考については都倉武之氏の記事も是非お読みいただきたい。

(編集部)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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