【その他】
【小特集・関東大震災と 慶應義塾】大震災所感(『三田評論』大正12年11月号より)
2023/08/21
(翻刻に際しては新字新かなに改め、適宜ルビを付記した。また今日の人権意識に照らして不適切に思われる箇所もあるが、時代的背景を考慮しそのままとした。[編集部])
一
九月一日正午二分前、東京其他関東地方を襲いたる大地震は、引続いて起れる大火災と相合して、前代未聞の大惨害を惹起した。東京に於ては、焼失戸数四十万七千九百九十二、其の人口百五十万五千二十九、然もそれは商工の中心地域を全滅せしめたのである。又横死者の数に至りては、東京府内にて、焼死五万六千七百七十四、溺死一万一千二百三十三、圧死三千六百八、合計七万一千六百十五、其外負傷者三万一千六百七十二と報ぜられて居る。且東京以外に於て、横浜は真に全滅的の大破壊を受け、死者亦無数、其他湘南諸地方及房総海岸等、被害の区域甚だ広く、到る処に言語に絶する大惨状を呈して居る。損害を金額に見積る時は、東京のみにても約百億と云う人あり、固(もと)より不正確なる数字なるも、亦(また)以て大体を想像するに足る。況んや金銭に代え難き貴重の図書美術品等にして、灰燼に附せられたるものも無数にある。国民を挙げて極度の驚愕と悲痛とに打たれたるは、洵(まこと)に当然である。
損害多方面に亘る其中に於て、文化の中心機関たる官私大学以下諸学校の焼失非常に多かりしは、吾人教育事業に関係する者として、特に痛恨を感ぜざるを得ない。数万の学生と幾十万の児童とは、忽(たちま)ち研究修学の場所を失い縦令(たとい)一時的とは云え、文化の上に一種の暗黒時代を出さんとして居る。既に応急臨機の処置も執られつつあり、徐々に回復に向うことならんも、其の教育上の一大打撃たるは言う迄もない。我慶應義塾は幸にして火災を免れたるも猶(なお)破損に於て、約三十万円の損害を蒙りたるは、義塾として容易ならぬ大打撃である。唯義塾大学の生命たる図書館の要部は無難にして、諸教室も大体使用に差支なく、教授学生皆共に平常通りに研究修学に従事するを得るは、意外の幸運として大に祝せざるを得ぬ。
回顧すれば、慶応四年、世は乱れて麻の如く、兵馬倥偬(こうそう)、物情紛々、人皆文事を顧るの遑(いとま)なき其間に於て、福澤先生を中心とする当時の先輩諸士は、塾内の別天地に於て、静に学問研究の楽を継続するの幸福を喜び、中元の祝日に手料理の酒宴を開き、「文運の地に墜ちざるを祝し」たることあり。事情は勿論大に異なる所あるも、吾人亦今日の場合に於て、多少類似の感慨なきを得ない。同時に義塾の使命の甚だ重く、文化に貢献するに於ての責任、特に大なるものあるを思わざるを得ないのである。
二
今回の大災厄は、種々の問題に向って吾人の注意を喚起し、切実なる省察と考究とを促しつつある。先ず天災の前に人間の力の極めて微弱なるは、唯自ら憐むの外なき次第なるも、然も自然を征服するは文明の使命である。学問研究の発達に依りて地震を予知し、以て事前に相当の対応策を講じ得ざるべきや否や。吾人の希望は第一に此点に向って注がれざるを得ない。次に地震の予知は当分不可能なりとするも、平素より耐震の工夫を完うして、地震の災害を極度に減少するは、今日の科学を以てしても、為し得らるべき筈である。地震なき国の建築法を漫然我地震国に輸入し、特殊の考究を為すに密ならざるが如きは、学者怠慢の罪と称すべく、正に人事の尽すべきを尽さざるものである。
更に火災に至りては特に然りである。失火は偶然の機会に於て起ることあるべく、其の絶無は到底期するを得ざるも、然も延焼を防止して其の災害を極小の程度に止めしむるは、人力にて為し得らるべき事である。専門家の語る所に拠れば、帝都今回の災厄の九十五パーセントは、火災に因ると云う。即ち防火設備完全にして、唯地震のみの損害に止まりたらんには、僅に五パーセントの程度に災厄を減じ得た筈である。要するに市区の画定、道路公園の設備、建築の取締、水道其他防火の用意等総て余りに姑息乱雑不整頓なりしが為に、地震の災厄を20倍に拡大せしめたのである。建築に於て耐火と称せらるるものはありしも、地震の場合に対する用意不十分なりしため耐火の効能を完全に現わし得ず、又泰西新式の防火設備を施せし建築物も、地震の為の断水を予想し居らざりしため、折角の設備を無益に帰せしめた例もある。是等は皆天災に非ずして、寧ろ人災と称すべきものである。現在の幼稚なる文明を以てしても、科学の教示する所を十分に活用せんには、人類の幸福を保護するに於ての余地、猶甚だ大なるものがあるに相違ない。今回の災厄に果して所謂天譴(いわゆるてんけん)の寓意ありとせば、そは第一に日本人の生活組織の余りに非科学的なるに対する懲戒なりと解すべきである。
三
地震は図らずも地下の霊泉を湧出せしめ、又は土中の泥水を滲み出ださしむることがある。それと同様に、突如として起りたる大災厄の衝動は、我国民をして其の性質の美醜長短を、赤裸々に露出せしめた。非常なる驚愕と恐怖とに打たれたる大混乱の中に於て、幾多の美談佳話の残されたるは姑(しばら)く別とし、夫(そ)の鮮人騒ぎと甘粕事件とに至りては、実に痛嘆に堪えない。朝鮮人中に悪人のあるは、日本人中に悪人のあると選ぶ所はない。震災の混雑に乗じて悪事を行える多少の鮮人ありたればとて、無差別に一切の鮮人に大迫害を加えんとしたるは、大混乱中の出来事とは云え、実に乱暴至極の沙汰である。第一に幾千幾百の朝鮮人隊を成して襲来せんとすとの訛伝(かでん)に誤られて、都鄙各所に大騒動を演じたるは、無知より来る狼狽の醜態にして、唯不面目千万なりと謂(い)うの外はない。況んや狼狽激昂の余り無辜の鮮人に危害を加え、多くの犠牲者を出したるは、確に近来の一大不祥事である。
勿論当時世人の神経は昂奮の極に達し、笑うべき蜚語流言も忽ち大衝動を与えて、意外の珍事を惹起し易き場合であった。日本人にして些細の間違の為に殺傷せられたるもの多き事実に照らすも、当時の状況は推察し得らるるのである。且又多数の朝鮮人が個人若くは官憲の保護に依りて危難を免れたるも、公知の事実である。されば此事件は何等民族的偏見を動機とせしに非ざるは明白なるも、兎(と)に角(かく)此の如き大騒ぎを演じて、多くの鮮人横死者を出したるは、返す返すも遺憾である。
此の鮮人騒ぎは、夫の各所に於ける自警団員の日本人殺傷事件と共に、日本人に沈着性乏しくして、容易に思慮の平静を失うの欠点あることを、明白に示して居る。就中(なかんずく)、法を尊重せず且人命を軽視するの悪風を遺憾なく暴露せるの点、最も注意に値する。如何に事理を考慮する余裕なき大混乱の際なりしとは云え、苟(いやしく)も根柢に於て一般世人の間に、法を尊び人命を重んずるの気風存せんには、斯る極端なる暴挙は行われなかったであろう。彼等は実際に法の尊厳を解せず、又人命の重んずべきを知らないのである。即ち立憲法治の文明国民として最も恥ずべき二大欠陥が、端なくも玆(ここ)に暴露せられたのである。我国民は深く反省する所あるを要すると思う。
四
甘粕事件に至りては、更に大に痛嘆せざるを得ない。無知の民衆又は自警団員等が、人心恟々(きょうきょう)たる際、激昂の余りに思慮を失うて、法を破り人を殺すに至るは、多少憐むべきもの無きに非ざるも、甘粕事件は決して然らず、物情稍(やや)静まりたる九月十六日に於て、然も静に談話を交えつつ実行せられたのである。加之(しかのみならず)、其人は法及秩序の維持に就て責任を有する官吏である。無残に虐殺せられたる者の中には、罪なき小児をも含むに至りては、益々戦慄せざるを得ない。事実の詳細は、公判終了の上に非ざれば知るを得ざるも、兎に角此事件の為に、日本の文明は絶大の汚辱を蒙った。吾人は実に批評の言葉に苦まざるを得ないのである。
此事件には私刑の問題の外に、思想に対するに暴力を以てするの問題も含まれて居る。共に最も非文明的なる大不祥事である。大杉に非違の行為ありたりとせば、合法の手続に依り、正当の機関を経て之を処分すべきである。自己の判断に依りて勝手に私刑を加うるは、決して許し得べき事ではない。又大杉の奉ずる無政府主義は所謂危険思想にして、国家の安寧に害ありとは云え、此思想を暴力に依って圧し去らんとするは、誤れるの甚しきものである。然も是れは単に一軍人の問題に非ずして、多くの日本人間に存する固陋偏狭の弊風が、偶此処(たまたまここ)に現れたのである。同時に又前項所述の国民的欠点も、再び赤裸々に暴露せられて居るのである。私刑と云い、暴力と云い、尊法心欠乏の結果なるは、言う迄もない。
如何に其動機は同情すべきものありとするも、無政府主義に代うるに無法律を以てして、何の得る所ありや。国家の為と云うも、国法を犯して何の国家の為ぞや。元来国家の為とあれば、手段の如何を問うを要せずと云うのが、危険極まる悪思想である。此悪思想は余程広く我国民の間に行渡って居る。而して屢次(るじ)愛国の名に於ての大非違を犯さしむるに至るのである。甘粕事件の如き、愛国の熱誠より出でたるものと伝えらるるも、其の結果は却って我文明に大汚辱を加え、国内的にも、又国際的にも、非常なる損害を国家に与えて居る。苟も法を破り正義に反き人道を無視するが如き行為は、如何なる場合にも絶対に排斥せねばならぬのである。
今や我国朝野の全注意は、帝都復興問題に集中せられて居る。復興が目下の急務たるは言う迄もない。されど我国民は此復興事業に努力する傍に於て、更に以上述べ来たりたるが如き各種の弊風の一掃を期せねばならぬ。満目荒涼たる焦土の中より、新東京は一倍の活気を以て生まれ出でんとして居る。若し今回の災厄中に起れる幾多の不祥事が、弊風打破の刺激となり、文明の新気風を促し来るとせば、災厄亦無意義ならざるを得る次第である。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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