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【講演録】❝この人民ありてこの政治あるなり❞の今日的な意味合いを語って、10年

2021/08/23

社会保障は中間層の生活を守るためにある

いま、財源調達という話をしましたけど、先月、アメリカのバイデン大統領は、これまで長らく続いてきた、法人税や富裕層への減税という流れを反転させ、法人税の増税、富裕層の増税を行い、その財源で仕事を増やし、そして子育て支援政策を軸とした家族のための計画を行うと宣言しました。彼の演説の中では、一国の政治面、そして経済面における中間層の重要性が謳われていました。

ようやく、アメリカも分かってきたかな、というのが私の実感でした、というのは冗談ですが、バイデン大統領の議会でのスピーチに出てきた、「中間層」を重視し、「トリクルダウン」を否定する話は、私は、もう、疲れるほど長く言い続けてきました。一国の経済が順調に成長し、政治が安定するためには、分厚い中間層が必須であること、市場に任せ、いわゆるトリクルダウンという、富裕層を豊かにすれば、そのしずくを低所得者も受け取ることができるという政策は、歴史上実現したことがないことなどです。

社会保障給付費の9割は社会保険が占めています。年金、医療、介護などです。みなさんの全員が人生のどこかで関わる制度だと思います。生活保護は3%程度です。その半分は医療扶助ですので、皆さんが想像する現金給付の生活扶助は社会保障給付の1%程度になります。

社会保障はおもに中間層の生活を守るためにあるわけで、これは多くの国で同様の傾向です。そして、日本では、ジニ係数という所得の不平等指標は、社会保障と税制により改善されますが、その改善の9割ほどは社会保障が果たしています。そして社会保障は、高所得の地域から低所得の地域に所得を再分配しています。

私は、高齢者は経済の宝だ、高齢者を積極的に地方に誘致することは、地方創生の有効な手段であると論じてきました。彼ら高齢者がいてくれることで、その地方に所得が高い関東地方や東海地方から所得が流れてくるわけです。その意味で、私は社会保障を所得の高いところから低いところに恒常的に所得を流す灌漑施設と呼んできました。

2019年に亡くなられた中村哲先生が、アフガニスタンでつくった灌漑施設。中村先生は私の高校の大先輩でして、中村先生の大きな仕事を紹介させてもらいますと、ペシャワール会にも連絡して話をしていまして、あの灌漑施設をつくることによって、砂漠が青々とした田畑に変わっていくわけですね。灌漑施設としての社会保障の役割とは、あの中村哲先生の偉業をイメージしてもらえればと思います。

全く違う2つの経済学の系譜

市場というのは所得の分配を苦手としています。市場に多くを頼ると、格差を生み、不平等が大きくなるのは仕方ありません。その市場を民主主義が牽制して、格差を縮小する政策を展開する。その1つの手段が社会保障です。

そして、ここで1つの問いについて考えてもらいたいと思います。経済の成長は、所得の分配が平等である方が望ましいのか、それとも、市場に任せる方が望ましいのか。

ここで私がずっと言い続けていることは、「手にする学問が変われば、答えが変わる」という話です。これが学問の怖いところで、人が、手にする学問によって、望ましいと考える政策解がまったく異なってきます。そういう話をまったく知らない社会的弱者は、経済学の中での思想の闘いに翻弄されて、貧困に突き落とされたりします。

ここに、「社会保障と関わる経済学の系譜」としてまとめた図があります。アダム・スミスに始まってフリードマンに繋がる系譜を右側の経済学、ケインズを通っていく系譜を左側の経済学と呼んでいます。

図:社会保障と関わる経済学の系譜(手にする学問が変われば、答えが変わる)出典:権丈善一『ちょっと気になる政策思想』(勁草書房、2018)

右側の経済学に基づけば、経済は市場に任せると上手くいくと考えられ、社会保障は、経済の足を引っ張る余計なものだから小さいほど望ましいということになります。ところが左側に基づくと、所得の分配は平等であるほうが経済はうまくいくと結論づけられます。したがって、所得分配の平等化を実現する社会保障という制度が、経済政策として積極的に評価されることになります。

私が大学生だった1980年代は、経済学が、大きく右側に旋回していく時期でした。政治面では、イギリスで1979年にサッチャー首相が登場し、1981年にレーガン大統領が誕生します。ノーベル経済学賞では1976年にフリードマンが受賞して、1982年にスティグラー、いずれもシカゴ学派ですね。そして1986年にブキャナン、1992年にベッカー、1995年にルーカスという人たちが受賞していく。

この5人の中の比較的若いルーカスを除いた4人は、1947年に、ハイエクをリーダーとしてスイスに集まり、モンペルラン・ソサイアティというものを組織します。この組織の目的は、両大戦間期に進んだ政府の拡大を反転させて、市場経済を両大戦前のように復活させ再び自由主義の時代を目指すことでした。これが、彼らリバタリアンがしかけた新自由主義ですね。『ショック・ドクトリン』のナオミ・クラインの言葉を借りれば、「彼らが希求したのは、汚染されていない純粋な資本主義への回帰」でした。

私が学生のころ、辻村江太郞先生は、ルーカスたちの合理的期待形成学派を授業で批判されていました。ところが、彼らは、ノーベル経済学賞という威信の力もあって、とんでもない影響力を持つようになっていき、市場への介入のほとんどを否定する時代を迎えることになっていきました。

そうした時代では、社会保障は、資本主義における異物と位置づけられます。サッチャーのイギリス、レーガンのアメリカだけでなく、日本でもそうみなされ、民主主義が市場を牽制するために設けていったいくつもの制度も悪しき規制とみなされて、これを緩和すること、改革すること、そして政府、特に霞が関を悪く言うことが絶対正義のような時代となり、その方面で多くの人たちがもてはやされることになりました。

右側と左側の経済学は全く違うものです。そうであるのにずっと2つが存在し続けている。自然科学の人たちからみれば実に奇妙に見えるかもしれません。経済学を社会科学の女王と呼んだノーベル経済学受賞者もいましたが、科学におけるパラダイムシフトを言ったトマス・クーンは、経済学を科学に入れていませんでした。卓見だと思います。

渋沢栄一とアダム・スミスに通じるもの

このあたりの考え方は、私は、福澤先生が『文明論之概略』で展開した「本意論」というものを明確に意識していました。これらの学問はいったいどこで別れ、異なったものになってしまうのかを考えていくことになります。

根源的には、これら2つの学問は、スタート地点での議論の前提がまったく異なります。右側は、「供給はそれ自らの需要をつくる」、つくったものは全部売れるというセイの法則を前提として、経済を供給サイドからみる経済学であることは確かです。

対して左側は、セイの法則を否定して経済を需要サイドから見る経済学であることも確かです。しかしさらに考えていくと、右側は将来を予測できると考えるのに対し、左側は、将来は何が起こるか分からないという、経済学者フランク・ナイトの言う意味で不確実なのだから、将来の予測など不可能だと考えます。両者には根本的な相違があります。

私がつくった年金論などは、将来の予測などあり得ない不確実な世界を大前提としてスタートします。この講演のはじめに話した『日本年金学会創立40周年記念論文集』の第1章に書いた論文は、「不確実性と公的年金保険の過去、現在、未来」と言うように、不確実性の話が大前提としてでてきます。

たとえば、1966年に厚生年金基金ができた時、予定利回り5.5%に基づいて制度が設計されていました。当時はその制度設計に疑問を感じる人がいなかったくらいに、人間の予測力というのは危ういものです。現実に存在する制度としての公的年金保険は、将来は不確実であり、しかしその不確実な世界においても、人々の高齢期の生活を守る方法を考えるという方針で制度を運営していかざるを得ません。ことほどさように、将来を予測可能とするか予測不可能とみなすかで、経済学、さらには制度設計のあり方が変わってくることになります。

そして右側の経済学と左側の経済学は、互いが、1つのパーツでも取り替えたら、体系のすべてが崩れてしまう前提、つまりクーンの言う「通約不可能な仮説群」に基づいて論理的に正しく議論を展開しているのですから、永遠にかみ合うはずもありません。では、両者のいずれが真であるのかを明らかにするエビデンスがあるのかというと、そう簡単な話ではない。

明らかに、1980年代に経済学の流れは、右側に大きく傾いていき、しばらくすると、右側の世界が主流派、正統派の経済学と呼ばれる時代になっていきました。リーマンショックあたりから正統派経済学に若干の動揺が起こり始めたのですが、今後、どちらの方に向かうのかは分かりません。しかし、経済学をベースとする政策思想が、世の中のあり方、その国のかたちに決定的な影響を与え、人々の生活を翻弄してきたことは、経済学が誕生して250年ほどの歴史を考えれば明らかです。

私は、今、世界の政治に少しばかり出始めている兆しを大切に育てていった方が、世の中はうまくいくし、経済もうまくいくようになると考えています。今年の渋沢栄一ブームにも乗って、以前から学生に薦めたかった『論語と算盤』をゼミの学生の課題としてもいます。渋沢栄一の考えは、実は、他者との共感、利他心が説かれた『道徳感情論』と経済学の原点となる『国富論』の両方を1人で書いたアダム・スミスの思想に通じるところがあります。

バイデンの法人税の引き上げによる社会政策が、成功するかどうかは、法人税引き下げ競争をストップする国際的な協調が可能かどうかにもかかっています。そしてそれは、市場メカニズム、資本主義に対して民主主義がどの程度作用する力を持ちうるかにもかかっています。そうは言っても、民主主義は、本日も話したように、かなり心許ないものであり、危ういものでもある。

福澤先生の言う「学者の職分」とは

最後に、小泉信三先生による『福澤諭吉』の書評を私が「三田評論」(2006年5月号)に書いた文章を紹介しておきます。小泉先生からみると、福澤先生は「求めて当たり障りの強いことを言い、いわば曲がった弓を矯めるため、常にこれを反対の方向に曲げることを厭わぬ」性質をも持たれているように見えたようです。今の時代も曲がった弓となっているように見受けられますが、この弓を矯めるために、我々はどうすればいいか。

福澤先生は、歴史を動かした要因として、時勢という言葉を使います。「歴史を動かしてきたのは英雄や豪傑などではない。時勢なるものがあって、その時勢が世の中を動かし、ひいては歴史を動かしてきたんだ」と言うわけです。そしてその時勢とは、その時代を生きる人たちの気風、すなわち「その時代の人民の分布せる智徳の有様」だと、社会を見ていました。そうした歴史観は、古くから支配的だった、英雄、豪傑など、政治の表舞台にいる人たちが歴史を動かし、政治の良きも悪しきも政府にありという考え方とは、対極にある歴史観です。

対して先生は、「政府は固(もと)より衆論に従て方向を改るものなり。故に云く、今の学者は政府を咎めずして衆論の非を憂うべきなり」(『文明論之概略』巻之二 第四章)と論じ、「人民の気風、人民の分布する智徳の有様」を変えることこそが「学者の職分」なんだと論じていた。その目的は、「全国の大平を護らんとする」ことにある。これが『学問のすゝめ』の初編の最後の文章になります。本日の演題「この人民ありてこの政治あるなり」は、先生の歴史観そのものであるわけです。

政策論の世界に身を置くということは、よほど気をつけてかからないと、どこで自分も間違いを犯してしまうかもしれず、今を生きる人たちや将来の人たちに大変な迷惑をかけるおそれがある。それが政策論の世界の怖さです。

この国の衆論がどの方向に進み、それに従う政府の政策がどのような展開をみせていくのか、それは本当のところは分かりません。そうした不確実な世の中ではありますが、定年まで後6年ほど、「勿凝学問」の演説の中で、物事のバランスの重要性を説いていた福澤先生の言う学者の職分、「学者は前後に注意して未来を謀り、政治を現今たらしめている衆論の非を憂い、衆論を変革するのが学者の職分」という考え方を時々は思い出しながら、『文明論之概略』にあるように、「異端妄説の誹りを恐るることなく、我が思うところの説を吐き」続けていこうかと思っております。本日は、ご静聴、ありがとうございました。

(本稿は、2021年5月15日にオンラインで行われた福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会での講演をもとに構成したものである。なお引用文献について、読みやすさを考慮し、一部表記を改めたところもあります。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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