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福澤諭吉記念慶應義塾史展示館
第1回 100年前の三田キャンパス模型を作る

2021/02/16

  • 白石 大輝(しらいし だいき )

    慶應義塾福澤研究センター調査員

本年5月、福澤諭吉と慶應義塾を近現代史上に位置づける「福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」が三田に開設される。三田通りにできる慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)とともに「双子の展示施設」(塾長年頭挨拶)と位置づけられるこの展示館の見どころを、開設作業に当たっている福澤研究センターの担当者たちが、5回にわたって連載する。


福澤諭吉記念慶應義塾史展示館には、今から100年ほど前の大正12(1923)年頃の慶應義塾三田キャンパスを再現した模型が展示される。三田山上と、現在生協などがある西側低地にあった幼稚舎、現・中等部の位置にあった普通部を含めた範囲が1.2メートル四方の台の上に1/285スケールで再現されている。当時存在した代表的な建物としては、煉瓦造の旧塾監局(福澤の親戚でコンドル門下生の藤本寿吉設計)、現在も残る図書館旧館、入学式などの式典や、アインシュタインら著名人の講演会などのイベントで使用された大講堂、そして校舎としては当時珍しい鉄筋コンクリート造であった大学予科校舎(いずれも曾禰中條建築事務所設計、『三田評論』2020年12月号「写真に見る戦後の義塾」に紹介)が挙げられ、これらを除くほとんどの建物は木造であった。そして、今は稲荷山にひっそりと佇む演説館も、当時は正門(現・東門)を入り、階段を上がってすぐの場所に図書館旧館と旧塾監局に挟まれる形で建っていた。三田キャンパスは大正12年以降、関東大震災、キャンパス南側の道路開削、そして空襲など、多くの変貌の契機を経て現在に至っており、再現には多くの困難が伴った。

模型展示の意義とは?

今回製作した三田キャンパスの模型展示には、慶應義塾史の「ハード面」を伝承する存在としての意義を見出すことができる。

塾内においては、福澤諭吉の思想、塾生文化といった慶應義塾の「ソフト面」に目が向けられ、その伝承や研究が盛んに行われているが、ほとんどの義塾関係者にとっては建物やキャンパスの様子といった「ハード面」における歴史的連続性を感じる機会はないと思われる。そこで、模型として建物を具現化することで、昔の三田の雰囲気を立体的に感じられるようにし、塾史への多面的な関心を導くことを狙いとした。震災前の大正12年は演説館や図書館旧館といった現在も残る建物と、福澤存命の頃から建っていた現存しない建物が混在する時期であり、明治中期から現在までのキャンパスの歴史的なつながりを感じられ、かつ資料もある程度存在することからモデルの年代として選定された。

また、この模型は展示内容の理解を補助するとともに、木造建築の多さや初等教育、中等教育、実業教育との同居、そこから生ずる教職員と塾生の距離の近さなども含め、同時代の官立大学とは異なる一私学のキャンパスの様子を伝える役割も担うであろう。教育史の一側面としての建築に光を当てる試みとして、この模型製作を位置付けたい。

旧塾監局と演説館(右奥)(明治24年)
大銀杏越しに大講堂を望む(大正11 年頃)
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