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【義塾を訪れた外国人】
ジョーン・ロビンソン:義塾を訪れた外国人

2017/12/12

2度目の訪塾

ところでケンブリッジから帰国した翌年、私は小泉基金のご依頼でロビンソン女史にふたたび来塾を請う書状を送ることになり、これを快諾してくれた女史は1968年に再度三田山上の土を踏んだ。このときの公開講演は「価値論の再検討」という題のものであったが、これはその邦訳が小泉記念講座選書に収められているので、ここでは紙幅の都合上要約を省く。

2度目の滞日ということもあってか、女史は宿舎のニュー・オータニですっかりくつろぎ、あまり酒の飲めない私を相手にジントニックの2杯目をお代わりするほどの元気さであった。1日をさいて箱根の金時山を踏破したのもこのときのことである。またカーメンのお仕込みよろしきを得たせいか、日本文化への打ち込みようも大へんなもので、私のほうが「野だて」という能の講釈を聴かせてもらったほどである。女史の語るところによれば、歌舞伎はtoo bloody なのでそれより能の幽玄な動きのほうが好きだということであった。

そんな毎日を過ごしているうちにいつしか女史の滞在日程も終りに近づき、ついに羽田空港でお別れする日になった。数日してシンガポールで投函された手紙が届いたが、それには滞在中世話になったことへの謝辞のほか、「三田の丘にスラッファの旗を立てなさい」という言葉が記してあった。

記念講演風景(1968年の来塾時)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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