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【義塾を訪れた外国人】
サンテール、コール、シラク:義塾を訪れた外国人

2016/04/04

壇上のサンテール委員長
  • 田中 俊郎(たなか としろう)

    慶應義塾大学名誉教授

約20年前の1996年秋に三田を訪れた3名の外国人の苗字を見て誰だかおわかりだろうか。ヘルムート・コール独首相とジャック・シラク仏大統領は憶えておられる方も多いと思うが、サンテール氏をご存知の方ほとんどいないと想像する。

ジャック・サンテール氏は、元ルクセンブルクの首相(1984年7月から95年1月まで、3次にわたり内閣を組織し、国務相、財務相、文化相を兼務)で、当時はEU(欧州連合)の欧州委員会委員長を務めていた。

日本とEC(欧州共同体)・EU(1993年11月以降)の関係は、長い間貿易摩擦の歴史であった。1968年以来の日本側の黒字、EC側の赤字が最大の課題であった。しかし、冷戦の終焉を背景に、日本とECおよびその加盟国は、1991年7月18日に「ハーグ宣言」を採択し、「グローバル・イシュー(政治、経済、途上国援助、環境、資源・エネルギー、国際犯罪)」や科学技術、学術・文化・青少年交流など広い分野での協議と協力を求め、制度的には日本国首相、欧州理事会議長(国)、欧州委員長との日・EC/EU年次首脳協議などが定期化された。

なぜサンテールだったのか

サンテール氏の訪日は3度目で、1996年9月30日東京で行われた第5回日・EU首脳協議出席と公賓招待であった。その機会に、10月4日三田北新館ホールで「EUと日本──共通の関心事、共通の課題」と題して特別講演が行われた(『三田評論』第986号)。

この講演には、伏線があった。慶應義塾は、前任のジャック・ドロール欧州委員長に対し名誉博士の称号を授与していた。1993年7月5日のことである。2度の石油危機によって沈滞していたヨーロッパ経済を立て直すために、基本条約を改正する「単一欧州議定書」(1987年7月1日発効)によって、1992年末までに「域内市場」を完成させ、「欧州連合条約」(別名、マーストリヒト条約、92年2月7日調印)で、経済通貨同盟を復活させ、統一通貨「ユーロ」導入への道を開いたことなどが評価された。第19回先進国首脳会議(東京サミット)のために来日することを機に記念式典を行う準備をしていた。しかし、坐骨神経痛で長時間の飛行に耐えられないとの理由でドクター・ストップがかかり、東京サミットにはヘニング・クリストファーセン副委員長が代理出席し、三田ではドロール官房のパスカル・ラミー官房長(後の貿易担当欧州委員、世界貿易機関(WTO)事務局長)が代理人として学位記を受けた。記念講演は中止され、演説館で行われた式典での謝辞は、「私は当惑した気持ちでこの場に立っております」とのラミー官房長の冒頭の言葉しか憶えていない。代理人に名誉博士の称号を授与したことについて、後に石川忠雄元塾長から「ご本人に直接与えるべきものであった」とご注意いただいた。ドロール委員長には、ブリュッセルで開催された世界EU学会の席上で2度直接「私の学生たちがお待ちしています」と督促を試みたが、結局、記念講演は実現しなかった。ドロール委員長は2期10年の任期を満了し、1998年1月に後任に就任したのがサンテール委員長で、96年の特別講演になったと私は理解している。

コール首相への名誉博士号授与

11月2日、三田の大銀杏の前の中庭に大型観光バスが乗りつけられ、その先頭の座席(2席分)にはどっかと座ったコール首相の姿があった。大使車のベンツを想定していた私には、想像を超えた巨漢の登場であった。そのせいなのか、時間の問題であったのか、名誉博士号授与式に通常使われる演説館ではなく、式典も西校舎518番ホールで行われた。

コール氏は、1982年10月4日にドイツ連邦共和国(当時西独)首相に就任し、98年10月27日まで16年間首相を務め、在任14年のコンラート・アデナウアーよりも長く、戦後最長を記録している。最大の功績は、1989年11月9日の「ベルリンの壁」崩壊を機に、軍事力を使うことなく、1年もかけずに90年10月3日に東西ドイツを統一したことである。それが、東西ヨーロッパを分断していた「鉄のカーテン」を引きずり落とし、東側のコメコン(経済相互援助会議)とワルシャ条約機構の解体、ソ連の崩壊、冷戦の終焉につながった。

なお、慶應義塾が政治家に名誉博士号の称号を授与したのは、インドのネルー首相が初めてであった(『三田評論』前号を参照)。ヨーロッパの政治家として初めて称号を授与されたのはアデナウアー初代西独首相で、1960年4月1日のことであった。さらにドイツでは、91年3月13日にヘルムート・シュミット第5代西独首相にも付与している。

6回目となる訪日は、非公式実務訪問であったが、ドイツと日本との経済協力、とくに中東欧での協力が主要議題であった。コール首相による記念講演は、「日独両国が果たす役割」と題して行われた(『三田評論』第987号)。

壇上に向かうコール首相
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