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【義塾を訪れた外国人】
サンテール、コール、シラク:義塾を訪れた外国人

2016/04/04

シラク大統領への名誉博士号授与

コール首相の訪塾の熱気がまだ冷めやらぬ11月18日、ドイツのパートナーとしてヨーロッパ統合を牽引してきたフランスのジャック・シラク大統領への名誉博士号授与式と記念講演が行われた。フランスの政治家としては、91年4月24日のレイモン・バール元首相以来2人目である。シラク氏は、フランソワ・ミッテラン大統領下で「保革共存」時代の首相として、さらにパリの市長として、さらに95年5月から大統領として、ヨーロッパや世界の安定に寄与し、日仏関係の発展に大きく貢献してきた。

シラク氏は、若い頃からアジア、とくに日本の文化・歴史に関心を持ち、大相撲観戦も大好きで、それまで43回も訪日経験があるが、フランス共和国大統領は国家元首であり、今次の訪日は国賓として初の公式訪問であった。記念講演は、三田西校舎518番ホールで「フランスと日本の新たな出会い」と題して行われた(『三田評論』第988号)。

西校舎に到着したシラク大統領

1996年という年

3名とも、訪問の形式は異なるが、それぞれ天皇陛下に謁見し、塾員の橋本龍太郎首相との首脳会談を行っている。今回3名の義塾訪問の足跡をたどってみて、あらためて1996年という年の意味を再考してみたい。

第1に、冷戦が終焉し新しい国際秩序の形成を担ったのは、米国だけでなく、EUも、マーストリヒト条約の下で世界的アクターとして「グローバル・イシュー」の解決に向けて動き出した時期であった。その際、EUの特徴は、米国のような単独主義ではなく、多角的な協調主義で、問題解決を図ろうとするものであり、そのパートナーに選ばれたのが日本を含めたアジア諸国である。日・EC「共同宣言」はその一部であり、1996年3月にバンコクで開催された第1回アジア欧州会合(ASEM)の首脳会合ももう一つの事例である。

第2に、EUとの関係を維持する第3国にとって、EUとの関係とEU加盟国との2国間関係というダブル・トラックの外交を展開することが必要になる。例えば日本にとって、日・EU関係と同時に、日独関係、日仏関係など、1996年時点では15の加盟国との2国間関係を維持する必要があった。それは、EUと加盟国の権限関係から生じる問題であるが、3名の首脳の訪日と三田での記念講演会の題名と内容はその証でもある。しかも、96年の特徴は、主要加盟国との2国間関係強化の枠組みが更新され、一層の協議と協力が推進されたことである。5月20日には「日独パートナーシップのための行動計画」がベルリンで合意され、9月2日には日英「特別なパートナーシップのための行動計画」が東京で調印され、さらにシラク大統領の訪日時に「21世紀に向けての日仏協力20の措置」が、記念講演日の11月18日に橋本首相との間で調印されている。

第3に、日本は、バブルが破裂した後で経済状況は決して好調ではなかったが、依然としてGDPで米国に次ぐ第2位の経済大国であり、政府開発援助(ODA)の国別ランキングでも第1位を占めるなど、EUとしても、加盟国としても、日本とのパートナーシップを模索・発展させようとしていた時代であったことである。

塾生へのメッセージ

3つの講演会場の最前列の席には、私のゼミの学部生や大学院生が総動員された。ヨーロッパ、とくにEUの政治を勉強しているためであったが、身元不明な人物を座らせないという要人警護のためでもあった。

最後に、20年前コール首相が塾生に残した言葉を引用しておきたい。「諸君は国の希望であり、国の将来です。(中略)チャンスをとらえなさい。人生をしっかり手の中に受け止め、そこから何かを生み出しなさい。世界に飛び出していきなさい。アジアで、ヨーロッパで、世界の至るところで、他の人々と、諸君の隣人や友人と力を合わせて、豊かな将来のために、仲間や家族のために、そして諸君の国、日本のために、自分なりの方法で貢献してください」。一般に最近の大学生は内向きと言われる。塾生はそうではないと確信しているが。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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