【特集:投資は社会を変えるか】
小方信幸:ESG投資の哲学を欧米の歴史からたどる
2023/04/05
キリスト教倫理を基盤とする欧米の投資哲学
現在、日本ではESG投資が急速に拡大している。日本でESG投資が本格化したのは2015年以降にもかかわらず、2019年末時点で日本のESG投資市場の規模は、米国市場の17兆810億米ドルと欧州市場の12兆170億米ドルとの乖離は大きいものの、2兆8,740億米ドルで世界第3位となっている*1。2015年以前はESG投資に取り組む機関投資家は極一部であった。日本のESG投資市場が短期間で急速に発展した理由は日本政府の政策にある。
一方、欧米のESG投資市場は100年以上の歴史があり、その起源に遡ると400年以上の歴史がある。しかも、キリスト教倫理を基盤とする英米のキリスト教教会(以下、教会)の株式投資が、ESG投資の前身である倫理的投資と社会的責任投資(Socially Responsible Investment, SRI)を主導してきた。神学者のパウル・ティリッヒは「宗教は文化の内実である。文化は宗教の形態である」という命題を示した*2。また、経済学者のアルフレッド・マーシャルは著書『経済学原理』(1920年版)の序章で、「世界史は宗教と経済によって作られた。(中略)時として、宗教的動機は経済的動機よりも強烈である」と述べている。これらの主張から、欧米におけるESG投資の根底にはキリスト教倫理を基盤とする投資哲学が存在すると考えられる。
筆者は、欧米のESG投資の歴史をたどることにより、日本のESG投資の課題と展望を考えるうえでの示唆が得られると考える。また、ロシアのウクライナ侵攻により分断が深まる世界において、ESG投資家の道標になると考える。
ESG投資の起源
ESG投資の起源は、17世紀英国のプロテスタント・キリスト教の一派であるクウェーカーの創始者ジョージ・フォックスが示した「戦争、暴力、武器の放棄」という規範、または18世紀英国のメソジスト創始者ジョン・ウェスレーの1760年の説教集にある「金銭の使い方」と言われている*3。「金銭の使い方」は、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で引用している。また、欧州SRI市場が拡大する契機となった2000年の英国年金法改正に際し、当時の英国年金担当大臣がスピーチで引用するなど、「金銭の使い方」は今日もなお欧米社会に強い影響を与えている。
ウェスレーは「金銭の使い方」で、金銭は「大いに獲得し、大いに節約し、大いに捧げなさい(“Gain all you can, Save all you can, and Give all you can”)」という3原則を示した。ウェスレーは、金銭への執着を戒めるものの、金銭はあらゆる善を行う道具であると教えた。また、勤勉かつ時間を惜しんで全力でできるかぎり稼ぎ、贅沢を慎みつつできるかぎり蓄え、自分と身内に必要なものを除き、残ったお金はできるかぎり貧しい人々に与えよと説いている。これは、神は人間を財産の所有者ではなく管理者(Steward)として創られた、という聖書の原理に基づく考えである。
また、ウェスレーは金銭を獲得する際の大前提として、隣人の精神と身体を損なうことで稼いではならないと戒めている。具体的にはギャンブルと酒による金銭の獲得を戒めている。ウェスレーの「金銭の使い方」とクウェーカーの「戦争、暴力、武器の放棄」の規範は、キリスト教倫理に反する特定の企業の株式を投資対象から排除するネガティブスクリーニングという投資手法となり、現在のESG投資にも受け継がれている。
倫理的投資の時代(20世紀前半)
20世紀に入ると欧米の教会でキリスト教倫理に基づく倫理的投資が行われるようになった。筆者の知るかぎり、その嚆矢は、1908年に米国メソジスト監督教会(現・米国合同メソジスト教会)が年金を管理・運用する機関として設立した、Wespath Investment Management( 以下、ウェスパス)である。ウェスパスは聖書に記された倫理とウェスレーの信仰を受け継いで資産運用を開始した*4。
1928年に米国で、アルコールとギャンブルに関連する企業の株式を排除する、世界初の公募の投資信託、“The Pioneer Fund” が設定された。当時の米国では禁酒法が施行され、ギャンブルも全米で禁止されていた。禁酒法は、厳格なピューリタンの信仰を受け継ぐものであった。ピューリタンの思想は、米国建国以前から当時まで大きな影響力をもっていた。しかし、同ファンドは、翌年に大恐慌が起こったこともあり、規模は小さく影響力は限定的であった。20世紀半ばまでの倫理的投資は教会が中心であった*5。
2023年4月号
【特集:投資は社会を変えるか】
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小方 信幸(おがた のぶゆき)
法政大学大学院政策創造研究科教授・塾員