三田評論ONLINE

【時の話題:腎臓病と向き合う】
櫻堂 渉:QOLを高めるセルフ透析の挑戦

2025/12/18

  • 櫻堂 渉(さくらどう わたる)

    alba lab代表取締役、医療法人Oasis Medical COO・塾員

日本の医療は長い歴史の中で、医師と患者の間に明確な役割分担を築いてきた。医療者は治療の主体として指導を行い、患者はそれに従う受け手である。この構造は医療の安全性と均質性を支えてきた一方で、患者の主体的な意思決定を抑制し、医療を「上から与えられるもの」として固定化してきた側面を否定できない。いわゆるパターナリズム(父権主義)の影響である。

医師を頂点とするヒエラルキーの中で、医療者は「治す責任」を負い、患者はその恩恵を受ける存在とされた。こうした構造は、医療の質を担保するうえで一定の成果を上げたものの、同時に患者の意思決定の余地を狭め、医療を一方通行のサービスへと固定化してきた。医療が人間の尊厳を支える営みであるならば、治療の主語が誰であるのか─その原点を、私たちは改めて問い直さなければならない。

透析医療は、この構造が最も色濃く残る領域の1つである。週3回、1回4時間の透析をするために、決まった時間に医療機関へ通うという治療形態は半世紀以上変わっていない。安全性を理由に、患者は医療制度の枠組みに従わざるを得ず、生活や仕事、家庭の時間を犠牲にしてきた。生命を支える治療が「生きる力」を奪うのであれば、医療の目的は見失われている。医療の安全とは、患者の自由を犠牲にすることではないはずだ。

私たちが推進する「セルフ透析」は、その構造に対する応答である。医療者の監督のもと、患者自身が穿刺(せんし)や機械操作を行い、自ら治療を遂行する。重要なのは患者が自らの身体を理解し、判断し、行動する「自立の回路」を取り戻すことである。自分の手で医療を行う行為は、命を受け身ではなく「自分のもの」として取り戻す体験である。そこには、恐れを超えて挑戦する勇気と、自らを信じる意志が宿っている。

この実践は、国際的に注目される"Self-management support(セルフマネジメント支援)"の理念にも通じる。慢性疾患医療を構造化したChronic Care Model(Ed Wagner, Univ. of Washington)は、患者が自らの健康と生活を管理できるよう、医療者が知識と自信を支援することを中核に据えた。セルフ透析はその思想を現場で具現化した、日本発の先行モデルといえる。

実際、セルフ透析を実践する患者のアンケートでは、「快適と自由」(60%)、「納得と安心」(55%)、「体重管理」(50%)、「食事制限の軽減」(35%)、「体調が良い」(30%)が上位に挙がった(複数回答)。これらの回答は、治療技術の満足度というよりも、生活そのものへの肯定感を示す結果である。とくに「快適」「自由」「納得」「安心」という語が並ぶことは、セルフ透析がQOL向上のみならず、心理的ウェルビーイングの回復に寄与していることを示唆している。数字の背後には、患者が「自分の人生を再びコントロールできるようになった」という確かな実感がある。

現場で患者と向き合うと、その変化は表情や言葉に現れる。治療を他者に委ねていたときには見られなかった自信の表情、透析中に仕事の資料を読む姿、あるいは「自分でもできるようになった」と語る穏やかな笑顔

患者は「普通のことが普通にできるようになったのが嬉しい」、「美容や健康の改善により女性としての人生を回復できて嬉しい」、「仕事が十分できて社員と対等に任されるようになり嬉しい」、「これまで歩けなかったのが体力を回復し歩けるようになって嬉しい」と語る。いずれの声にも、人生の主導権を取り戻した歓びがにじむ。

それは、医療が単に身体を治す営みではなく、「人が自分の人生を再び語り始める場」であることを示している。そのすべてが、医療が人を成長させる営みであることを物語っている。医療は本来、人間の弱さを補うだけでなく、人間の可能性を引き出すものであるべきだ。

セルフ透析によって、多くの患者が働きながら透析を行い、家庭や地域社会の中で役割を取り戻している。透析室が「治療の場」から「自立の場」へと変わりつつある今、医療者の役割も変化している。管理者から伴走者へ、命令者から共創者へ─。患者の自立は、医療者に新しい自由と学びをもたらす。医療は、支配と従属の関係から、信頼と協働の関係へと静かに転換している。

QOLを高めるとは、単に快適さを求めることではない。人が自らの生を理解し、意味づけ、未来へと歩み出す力を取り戻すことである。医療がその契機となるとき、治療は「管理」から「文化」へと還る。セルフ透析の挑戦は、医療の技術革新であると同時に、人間の尊厳を取り戻す文化運動である。

医療を「生かすため」から「生きるため」へ。この転換は、患者だけでなく、医療者、社会全体の成熟を促すものである。私たちはその先に、人間の尊厳を軸とした新しい医療の地平を見ている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事