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【時の話題:日本の出産を考える】
辻 恵子:セクシャル・リプロダクティブヘルス・ライツ──「その人らしい選択」を支える

2025/03/17

  • 辻 恵子(つじ けいこ)

    慶應義塾大学看護医療学部准教授

時を経て深化した概念

"性と生殖に関する健康と権利(セクシュアル・リプロダクティブヘルス・ライツ、以下、SRHR)"は、自身の身体についてその人らしい選択をすることを保障する非常に重要な概念である。これは性や妊娠・出産に関連して健康であるだけでなく、産む・産まない、あるいはいつ、何人子どもをもつかについて女性が自ら決定できる権利を謳ったものである。1994年の国際人口会議(カイロ)での議論から30年の時を経て、現在は多様な問題に対応する際の広範な概念として深化している。

例えば、不妊治療や人工妊娠中絶、胎児の出生前検査、陣痛時の痛みの緩和などを含め、女性が差別や強制を受けることなく自分の身体に関する意思決定を行う権利を有し、必要な医療サービスやサポートを受けられることを前提に考えられている。

性と生殖に関する決定には、時間的な制約や倫理的課題を孕む難しい課題も多い。その人らしい選択をするためには、偏りのない正しい情報を得て、自身の価値観を知り、納得して決めるための適切な支援が欠かせない。それは女性の健康に携わる専門職の重要な役割である。

「本当の声」をしっかりと聴く

たとえ些細なことであっても、自分で選択できると認識することは人に力をもたらすと言われている。それが自分の身体や健康、その後の生き方につながる決定ならなおさらである。シェアード・ディシジョンメイキング(以下、SDM)とは、難しい選択に直面した当事者と医療者が選択肢に関するメリットやリスクに関する情報や価値観、アイデア等を共有し、相互に影響し合い、対話の中で決めていくプロセスのことである。SDMは人々の健康を改善し、満足度を高め、内的な変化と成長を促すことがわかっている。

近年、日本でSRHRの理念を基盤として妊娠期にある女性への包括的なケアの中に位置づけられたのが、妊娠初期の胎児の出生前検査(以下、出生前検査)である。多くの議論を経て、現在は、妊婦が母子手帳を受け取る際に当該検査に関する情報が提供されているが、倫理的課題を包含する難しい課題である。筆者が遺伝診療部門で出会った女性の多くは、自身の年齢を理由に出生前検査の受検を考慮していたが、妊婦健診時の超音波検査で胎児の異変を示唆された人も少なくない。胎児が致死的な状況にあることを告げられても、"妊娠継続を諦めたくない"という人、前子に先天性疾患があっても、出生前検査を選択しない人が確かにいる。

今後、検査対象が拡大することも予測されるが、SDMにおいてその人の「本当の声」を拾い上げ、"聴く"こと、そして時に"代弁する"ことは、倫理的に医療やケアを提供していくことにつながると考えている。

少子化対策がもたらす影響を考える

少子化対策の一環として、政府が導入を検討する出産費用の保険適用では、その料金が全国一律となる。また、今年に入り東京都は、硬膜外鎮痛分娩(以下、無痛分娩)の費用について、最大10万円を助成する方針を明らかにした。日本は先進国の中で、最も無痛分娩の割合が低い国の1つであるが、総分娩数に占める割合は、2018年の5.2%から、2023年には12%弱へと増加し、今後も増えることが予想される。

諸外国の実績から無痛分娩の安全性は確立されているとも言われるが、それは、集約化された分娩施設で麻酔科医が麻酔を担当することを前提としている。日本は、麻酔科医が不在の小規模施設での無痛分娩も多く、その場合の安全性が十分に検討されているとは言い難い。無痛分娩を取り扱う医療機関は増える一方、分娩を取り扱う産科医療施設は近隣でも漸減していることを助産師教育の現場でも強く感じる。次子を望む人々から「"またここで産みたい"と思える場所がもうなくなってしまった」との声も聞く。地域の産科医療が守られることを強く望む。

本学部の助産師選択コース学生は、これまで自然性と共感性を大切にしながら生理的な出産を志向する病院や助産院で、産婦の緊張をほぐしお産を進行させるオキシトシンの作用にかかわる環境調整や助産ケアの方法を学んできた。しかし、出生数の減少によりこの学習環境にも大きな変化をきたし、困難が生じている。少子化は、社会経済的課題を含め複合的な問題と考えられるが、海外では、出産費用の保険適用や周産期医療体制の改革をきっかけに、助産師の教育が停止し、出産施設の集約化が一気に進む国もあれば、当事者の声により、女性中心の出産を実現するための体制整備につながった国もあるという。

大切なことは、質の高い情報が提供され、安全性を確保した上で、誰もが"その人らしい出産"を選択できる体制が拡がることである。ウィメンズヘルスや、性と生殖に関する幅広い知識や技術をもつ助産師が、本来の強みを発揮できる場で、女性と家族のために貢献できる世の中が続くことを願う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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