【時の話題:シニアを愉しむ】
下川 裕治:シニアひとり旅から見えるディープな世界
2025/01/20

シニアの旅を輝かせてくれるのは人生の経験だと思っている。
僕は旅行作家という肩書をいただいている。バックパッカー旅を描くことが多い。これまでさまざまなエリアを歩いてきた。北極圏で猛烈な蚊の襲来に悩まされたこともある。アフガニスタンではアメーバ赤痢を患った。タイのバンコクには足かけ2年近く暮らしたこともある。旅がちな人生は、自分好みの旅というものを教えてくれる。豪華な旅は苦手だ。お仕着せの旅も性に合わない。
それは訪ねるエリアやどんな交通手段で旅をしたかという、いってみれば旅のハードな部分とは無縁である。どんな旅であっても、自分が心地いい時間というものがしだいにわかってくる。つまりは自分を知っているということ……それがシニア旅の特権のように思う。若い人には味わえない旅の極意でもある。
多くのシニアが感づいていることだと思う。僕が旅を生業にしているからこんなシニア旅の醍醐味を語っているわけではない。旅とは縁がなく、会社員として働きあげた人も、さまざまなトラブルのなかを泳ぎながら、自分というものに向き合ってきたはずだ。経験を積むごとに、虚栄とか見栄といったものが削ぎ落とされていく。つまりは自分がわかってくるのだ。
旅というものも、人生と同じような軌跡を残していく。若い頃は好奇心が旺盛だから、いろいろなエリアをさまざまな方法で歩く。のんびりと温泉に浸かりに行くこともあるだろうし、人によってはバイクでのツーリングに出たりする。各駅停車の夜汽車の車窓を眺める旅もあれば、飛行機のビジネスクラスに座る海外旅行を経験する人もいる。そういった、ある意味、雑多な旅のなかから、自分好みの旅が見えてくる。自分に合った旅の色がわかってくるのだ。
シニア旅の楽しみとは、そういうものに映る。周囲から見れば、それは勝手な旅かもしれないが、本人にとってはいちばんしっくりとくる。
先日、僕は日本のフェリー旅に出た。まず、北海道の小樽から新潟に向かうフェリーに乗った。その先、さらにフェリーで敦賀に向かい、京都までは列車で向かうつもりだった。そう、かつて日本の流通を担った北前船のルートを辿ってみようとしたのだ。
小樽を出航するのは夕方だった。その前の半日はなかなか忙しかった。
まず小樽のそば屋に向かった。ニシンそばを食べようと思ったのだ。北前船が北海道から本州に運んだ物資のなかで、ニシンは重要な位置を占めていた。しかし小樽のそば屋はどこも混んでいた。冬の北海道である。アジアからやってきたインバウンド客も多い。3軒目でようやく店に入ることができた。
そこから小樽駅横の三角市場に向かった。その夜のビールのつまみを探そうと思ったのだ。
ひとり旅である。1万円もするズワイガニを横目で眺め、300円ほどの焼いた貝のひもが入った袋を手にした。後は北海道だからサッポロビールがあればいい。
日本のフェリーは移動手段というコンセプトを強めるタイプと、クルーズ船を標ぼうするタイプがある。僕が乗ったフェリーは後者だった。ギターの生演奏が乗客を出迎え、船内には立派なレストランや大浴場も備わっている。しかし僕はそういう世界がどうも苦手だ。レストランはツアー客の世界で、僕の居場所がみつからない。寝る前にシャワーを浴びられればそれでいい。
勝手に窓際の席を陣どり、ビールの栓を切る。
すでに日は落ち、暗い海が目の前に広がっている。遠くに見える灯は高島岬あたりだろうか。そこには移築された「鰊御殿」がある。
冬の日本海である。小樽港を出たら、フェリーは揺れるかもしれない。船酔いしやすいタイプということも知っているから、乗船前に酔い止め薬を飲んだ。
「揺れないでほしい」
と北海道の夜空を見あげながらゆっくりビールを飲む。脳裡にはこれまで体験した船旅の記憶が蘇ってくる。天安門事件で騒然としている上海から香港まで乗ったこともある。あれはまさに脱出船旅だった。カスピ海を横断するフェリーは思っていた以上に快適だった。そんな過去の旅と遊ぶようなひとりの時間を、新潟へ向かうフェリーのなかで手にできたら、僕はそれで満足だった。
心を満たす旅は人それぞれだ。シニア旅では自分好みを貫けばいい。それがなんなのか知っている……それがシニアだと思う。
寝るのはいちばん安いクラスのカプセルホテルのようなベッドだった。夜行列車がなくなってしまった日本では、宿代わりに使えるフェリーは、ちょっと得をした気分にさせてくれる。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2025年1月号
【時の話題:シニアを愉しむ】
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下川 裕治(しもかわ ゆうじ)
旅行作家・塾員