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【時の話題:コンプラ社会を問う】
本橋 潤子:倫理マネジメントと働きがい

2024/09/02

  • 本橋 潤子(もとはし じゅんこ)

    産業能率大学情報マネジメント学部准教授・塾員

続発する企業不祥事、という言い方とともに、日本の企業社会で「コンプライアンス」という言葉が広く用いられるようになったのは、今から二十数年前、2000年代初頭の頃であった。それ以前は医学用語としての使われ方のほうが一般的だったようで、当時、だいぶ使い慣れてきたインターネットでこの言葉を検索すると、肺や医療機器の写真ばかりがヒットして、困惑していたことを思い出す。

法令(等)の順守、の意味でのコンプライアンスが日本で人口に膾炙する10年ほど前に、アメリカでは、企業におけるコンプライアンスの導入と徹底が急速に進められるようになったといわれる。と同時に、法令順守だけではなくそれを超えた、あるいは包含した、企業における倫理の必要性もまた問われるようになった。

当時、ハーバードビジネススクールで教鞭をとっていたリン・S・ペインは、企業における倫理マネジメントをコンプライアンス志向のものとインテグリティ志向のものとに整理し、後者の優位性を論じている。企業の「外にある」法や規則を順守すること、違反しないことのみに・・・主眼を置くのではなく、経営者や組織が「自らの」倫理的な理想や価値を明確にし、それを全ての構成員が共有し実践することで、組織の「よさ」を実現していくのが後者、インテグリティ志向の倫理マネジメントである。ここでは倫理は守るべきものというよりは実践するものであり、受動的に従うというよりは能動的に判断することが求められる。もちろん、だからといって自己利益のために法や規則をないがしろにするということではなく、むしろ責任を伴った、主体的に従うということが要求され、それをも統合した「あり方」が問われることになる。

こうした、主体性や自律といった概念は、組織の中の人のマネジメントを考える上でも重要であり、また近年、より着目されるようになってきている。働く人々の動機づけやモチベーションに関する考え方の1つに、外発的動機づけと内発的動機づけを区分する、というものがある。外発的動機づけとは給与や賞罰といった他者から与えられる外的報酬によって行動を起こすことをいい、内発的動機づけとは仕事そのものが面白く楽しいので行うといった、活動そのものに動機づけられて自ら行動することをいう。後者の内発的動機づけを生み出すためには自律性と有能感の2つが必要とされるが、特に自律性は自己決定(の感覚)によってもたらされるため、具体的な指示・命令による統制や監視は阻害要因となり得る。

働くことの目的はさまざまにあり、また多くの場合、金銭や報奨といった外発的なものと、仕事それ自体が楽しいといった内発的なものとの両方が、働く人々の動機づけに必要であろう。しかしその上で、働きがいのある仕事、というときには後者、内発的動機づけによるモチベーションがやはり不可欠であり、ともすれば統制や監視が強調されやすいコンプライアンス志向の倫理マネジメントは、働く人々の自己決定の感覚や自律性とトレードオフの関係に陥りやすいことを意識しておく必要がある。

一方で、特にインテグリティ志向の倫理マネジメントは、人々の働きがいにより積極的に寄与し得ることが明らかにされつつある。「働きがい」を構成するものはさまざまに考えられるが、その1つに、仕事の有意味感というものがある。自分の仕事に「意味」があるとする感覚で、そうした仕事をミーニングフル・ワークともいう。

この「意味」を見出すには、自己実現や成長の実感といった自己にとっての重要性と、周囲や社会への影響という他者にとっての重要性の、2つの「重要性」が必要とされる。特に後者、他者にとっての重要性を意識する要因となり得るのが、組織や職場の社会性であり、社会に対していい仕事をするという倫理と、そのマネジメントなのである。それには、いわゆる社会課題の解決に直結するような、大きなプロジェクトもあり得るが、日々の仕事や事業活動は、何らかの点で顧客や社会に貢献する側面を持っている。経営者や現場のマネジャーがビジネスをそのように捉え、企業の目的を問い直し、働く人々の仕事の意味づけを変えていくことが、働きがいを生み出し、ひいては社会の規範を守るということにもつながり得る。

コンプライアンスという言葉の普及とともに、企業の社会的責任ということもより大きく、重いものとして問われるようになった。これを果たすことと、人々がいきいきと仕事をし、いい職業人生を送ることをいかに両立していくかということが、これからの経営にとっての1つの課題になると考える。それは同時に、「全体としての望ましさ」を、社会の側としての我々がどう考えるのかという問いでもあるのではなかろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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