【時の話題:コンプラ社会を問う】
岡 伸浩:コンプライアンスと現代の企業経営
2024/09/02
二十数年前のひとつの問い
もう20年以上前になろうか。ある上場会社で新任役員の研修会の講師を依頼された。テーマは「コンプライアンスと企業経営」だったと思う。
講演後、ふと、その会社の専務取締役が寄ってきた。わたしの耳元でこうつぶやいた。「岡先生、コンプライアンスではメシは食えないんですよ」。
自動車にたとえれば、企業の経営にとって利益を生む事業はアクセルで、コンプライアンスはあたかもブレーキのような存在と思われていた時代だった。コンプライアンスは、金を稼がない面倒で厄介な存在だった。あれから月日は流れた。今やコンプライアンスは企業経営を牽引する行動基準となり、ひとたびコンプライアンス違反があれば企業の存亡にかかわる事態を招く。しかし、この講演以来、コンプライアンスと利益は対立するものなのか、今もこの問いが常にわたしの中にある。
多様化し、複雑化する現代社会とコンプライアンス
ところで、コンプライアンスとは何かについて様々な定義がある。その大枠を捉えれば、コンプライアンスとは、単に法令遵守のみならず、より広く社会倫理や企業倫理、そして当該企業の自主ルールを守って、社会からの要請に応え、誠実に行動するといった内容を含むものと理解されている。
では、社会からの要請とは何か。現代社会の複雑化は留まることを知らない。法令の改正はもちろん、求められる企業倫理の内実も刻々と深化していく。国民1人ひとりの価値観も多様化した。我が国の終身雇用は崩壊し、社員の会社に対する忠誠心は希薄化した。公益通報者保護法の下、内部通報制度が完備し、SNSによって個々人が情報の発信主体となった。絶えず変化し続ける社会からの信頼を獲得するためには、コンプライアンスを静的で固定化された概念として捉えるべきではない。コンプライアンスの本質は、変化する社会に正しく対峙し、社会からの信頼を裏切らないための行動は何か、社会からの信頼を獲得するための行動は何かを常に自らに問い続ける力を涵養することにある。そのためには、先のコンプライアンスの定義の中で最も重視すべきは、企業倫理であろう。ビジネスと倫理。一見相容れないかの様相を呈するが、企業倫理は、まさに両者のバランスの中にこそある。企業が営利を追求し、効率性や合理性を維持しつつも、正しさを堅持し、社会からの要請に誠実に応え、価値を提供することが肝要である。コンプライアンスは、予測不能な情勢の中で、その都度、敏感に社会を知り、社会からの要請に応え、信頼を獲得するために努力し続けるという動的で連続性のある企業のミッションなのである。
コンプライアンスと利益
さて、冒頭の「コンプライアンスではメシは食えない」という問いに戻ろう。会社が営利を目的とする法人であり、対外的活動を行い利益を獲得することに主眼がある以上、企業が利益を追求する存在であることは疑う余地はない。現場にとって利益の追求は切実であり、常に喫緊の課題である。見方によれば、コンプライアンス違反は、発覚してはじめて問題となるが、利益は毎年どころか、四半期ごとに数字として厳然と目の前に突き付けられ、立ちはだかる。未だ顕在化していないコンプライアンス違反と目の前の利益の獲得が衝突するとき、人間は、その弱さゆえ、悪意の有無にかかわらず、自ずと利益を優先し、結果としてコンプライアンスに違反する。
これが顕在化した事象が世間にいう企業不祥事であり、企業不祥事が無くならない理由の1つはここにある。コンプライアンスと利益という20年以上前の問いは、現代の企業経営に内在する根本的で本質的な問題であり、今、なお息づく根深い課題なのだ。
信ある利益、正しい利益とコンプライアンス
現代の企業経営では、コンプライアンスと利益は、一体のものと捉えるべきだろう。コンプライアンスに違反して得た利益は、もはや利益とは言わない、そのような利益は欲しくないし、獲得すべきでない、こう断言することが経営者に求められている。まさに「信ある利益」「正しい利益」こそ、現代社会における企業が追求すべきものだ。社会からの信頼とは何か、信頼を獲得するためにいかなる行動を選択すべきか、この事を企業人1人ひとりが自らに問うとき、現代社会におけるコンプライアンスの本質にはじめて正対する。倫理的な企業は、例外なく経営哲学を背景にパーパスやミッションを掲げる。これが、迷ったとき、困ったときの経営の道標となる。経営哲学を基軸に社会の変化を受け入れ、企業がコンプライアンスと両立した利益を獲得し、新たな価値を創造し社会に貢献する。ここに現代企業におけるコンプライアンスの要諦がある。そのために経営はどう在るべきか、現代社会をみつめ、このことを問い続けることによって、企業は、中長期的な企業価値向上への道を歩むことができる。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年9月号
【時の話題:コンプラ社会を問う】
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岡 伸浩(おか のぶひろ)
弁護士、慶應義塾大学大学院法務研究科教授