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【時の話題:ガザへの視線】
藤屋リカ:パレスチナの人々と共に学んだ日々

2024/04/09

ガザのビーチで海水浴を楽しむ人々(2004年、藤屋リカ撮影)
  • 藤屋 リカ(ふじや りか)

    慶應義塾大学看護医療学部准教授

「私たちパレスチナ人はテロリストではないことを知ってほしいのです。子どもが健康に育ってほしい。平和に生きたいだけなのです。」

2008年末から2009年にかけてのイスラエルのガザ地区への軍事侵攻で約1400人が死亡した。国際人道法で守られるべき病院までもが攻撃された。

空爆が続くなか、私はガザの友人に電話をかけた。彼女とは一緒に子どもの栄養改善プログラムを運営してきた。停電が続いていて、電話がいつも通じるわけではない。予め、Eメールで連絡しておき、祈るような気持ちで電話をかけ、声を聴くことができた。私の日本からの電話に、彼女はこのように答えたのだった。

命を脅かされている人々が、なぜ「テロリストではない」と言わなければならないのか? 彼女は、パレスチナ人が外からどう見られているかを、痛いほどに感じていたからなのだろう。

私は1995年から国際NGO職員としてパレスチナでの保健プロジェクトに携わり、当時パレスチナ事業を担当していた。2004年から2006年まではパレスチナ事業の現地担当としてガザ地区での子どもの栄養改善に関わり、状況が許すときは週の約半分はガザに滞在してプロジェクトに携わった。侵攻の起きた2009年当時は東京事務所でパレスチナ事業を担当し、現地にも年に3回程度は赴いていた。

現地駐在時、国際NGO職員はガザへの出入りが可能であったが非常に厳しく、ガザに滞在する外国人はごく少数であった。私は国連職員や国際NGOの友人たちと一緒にガザ地区へ移動し、国連職員の友人宅や国際スタッフが滞在するホテルに寝泊まりしていた。

パレスチナ人社会は家族の結びつきが強い。子どもが多く、一家に5,6人が普通だった。ガザの人々にとって、1人で部屋にいることなど気の毒で仕方ない、友人としてほおっておけないことだったようだ。同僚たちは、単身外国人の私を、食事に招き、一緒に買い物に連れて行ってくれたりもした。

ガザの水道水は、塩分濃度が高く、生活用水として洗濯や掃除、シャワーなどには使えるが、飲み水や料理には適さない。その水さえ、しばしば断水する。電気が限られた時間しか来ないことが影響していた。飲食用の水は別途買って、黄色のポリタンクに入れて、台所の隅に置かれている。そのような苦労をものともせず、自慢料理を出し、飲み物も振舞ってくれるのだった。

友人が作ってくれるレモネードは最高だった。ガザは柑橘類の名産地で、レモンも多く生産されている。皮ごとザクザク切った新鮮なレモンとミント、砂糖、水をミキサーにかけ、粗めの網でこして、できあがり。氷を入れて出してくれる。ひと手間かかるが、必ず手作りしてくれた。

ガザでは「イブラヒム皇帝」という名前の小型で赤色の白身魚のフライがごちそうだ。私の地元の山口県では、よく似た魚「金太郎」を、天ぷらにして食べる。魚の名前が、なんとなく似ていると大いに盛り上がった。

2023年10月から続く、ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃による人々の苦しみは想像を絶する。3万人以上の人々が亡くなっている。しかし、昨年10月に始まったことではない。1948年の第1次中東戦争、そして1967年の第3次中東戦争でイスラエルの占領下になり、ガザ地区内の持続的な経済発展に必要なインフラの構築などは制限・弱体化させられた。自己決定や将来への可能性を構造的に否定された状況ともいえる反開発(De-development)状態に置かれた。イスラエルによる経済や移動封鎖の強化により、ガザ地区は「天井のない監獄」になった。

ガザ地区への軍事侵攻での被害対応として緊急人道支援(食料や医薬品の支援)に、私自身、2002年、04年、06年、09年、14年に携わった。

長年にわたり保健プロジェクトや緊急人道支援など、国際保健分野の専門家としてガザ地区に関わった。しかし、まず、蘇ってくる記憶は、ほろ苦さもあるレモネードの味、台所に広がる自慢料理のスパイスの香り、他愛もない笑い話など、人々と共に過ごした日々であり、そこから、人として大切にすべきこと、強さや優しさを学んだ。どんな状況でも人々には日常があり、尊厳を持って生きたいと願っている。

国境なき医師団の代表は1999年のノーベル平和賞受賞記念スピーチで、「人道的な行為は最も非政治的な行為。しかしその行為や倫理が真摯に受け取られた場合には、大変重要な政治的意味合いを持ち得る」と語っている。

食料や薬を届けても戦争は終わらない。しかし、なぜ、届けなければならないかを、苦しむ人々のことを、その現実を伝え、誰もが真摯に考えたならば、政治的判断による終戦が必須となることを信じたい。「平和に生きたいだけなのです」という彼女の切なる願いを今改めて心に刻み、伝えたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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