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【時の話題:ガザへの視線】
錦田愛子:イスラエル・ガザ戦争における人道的危機

2024/04/09

ガザのビーチで海水浴を楽しむ人々(2004年、藤屋リカ撮影)
  • 錦田 愛子(にしきだ あいこ)

    慶應義塾大学法学部教授

広がる飢餓

ガザ地区で飢餓が問題となり始めている。戦闘開始から5カ月が経過し、物流がこれまで以上に厳しく制限されたガザ地区では、人が生きていくのに最低限必要な食料や、安全な飲み水、医薬品、発電に必要な燃料も不足した状況だ。わずかな食糧配給に空の鍋を手にした子どもたちが集まり、じゃがいもがまばらに浮いたスープを持ち帰る様子が報じられている。大人数の家族が多いガザ地区では、とても足りない量だ。実際に、ガザ地区ではすでに栄養失調と脱水で命を落とす人々が出始め、AP通信によるとその人数は3月9日時点で20人以上に上るという。

物資の不足は特にガザ地区の北部で深刻だ。退避勧告は出たものの、自力で移動できなかった人々など30万人以上が、まだ北部には残る。支援物資を載せたトラックが来ると、到着を待たずにトラックに群衆が群がり、積み荷を奪っていく状態だという。WFP(国連世界食糧計画)は2月20日、職員が「市民秩序の崩壊による完全な混乱と暴力」に耐え切れなくなっているとして、ガザ地区北部への食糧輸送の一時停止を発表した。

それから2週間後、支援を再開したWFPのトラックは、今度はイスラエル軍に進行を阻止され、検問所で3時間止められた挙句に引き返すことを余儀なくされた。空中投下される支援物資のパラシュートがうまく開かず、地上の市民に直撃して死者が出る事故も起こり始めた。そもそも空中投下では十分な量を、適正な配分で届けることはできない。人々に支援が届かない緊急事態に対して、アメリカとEUはガザ港に埠頭を設置し、キプロスから船で支援物資を運び入れる方策の検討を具体的に進めている。

市民を巻き込む戦闘

10月7日の開戦以降、ガザ地区では市民を巻き込んだ攻撃が続いてきた。死者の数は既に3万人を超え、7万人以上が負傷し、まさに人道的危機としか言いようのない状況だ。世界有数の人口密集地と言われるガザ地区では、市街戦が始まれば多くの民間人の犠牲者が出ることが初めから指摘されていた。2000年代に入り4度繰り返されてきた過去の戦闘でも、それは既に明らかだった。今回の戦闘も、市民を巻き込むことを十分承知した上で展開されている軍事攻撃ということができる。

発端となった10月7日の奇襲攻撃で、ハマースをはじめとするパレスチナ武装勢力は千人以上のイスラエル人の民間人の命を奪った。襲われたガザ地区周辺のキブツは、急進的な現在のネタニヤフ政権に比べると、リベラルで世俗的な市民の多いコミュニティだった。襲撃はこれらのイスラエル人からも対話の希望を奪い、むしろイスラエルの世論を硬化させた。だがそのことは、ガザで市民を殺すことへの免罪符になってはならない。戦闘時においても守られるべき秩序があることを国際法は定めており、それぞれの犯罪は各場面において裁かれ、処罰される必要がある。報復の連鎖は止めなければならない。

ラファを越えられない人々

この戦闘の特徴は、攻撃対象とされた地域の人々に、ほとんど逃げ場が与えられていないことだ。アフガニスタンやイラク、シリアで戦争が起きた際は、多くの難民が国境を越えて周辺国へ逃れた。しかし今回のガザ攻撃で、隣国へ逃れることができた人はごくわずかだ。隣接するエジプトが、パレスチナ難民の受け入れを拒否し、国境を閉ざしているからだ。そこには一度受け入れたが最後、帰還が困難となった難民の滞在を認め続けざるを得ないという事態への警戒がある。実際にイスラエル建国以来、ヨルダンやレバノンには80年近くの長きにわたり、帰還できない難民が住み続けている。同じ轍を踏むことをエジプトは恐れており、新たな難民問題は3月10日現在、まだ起きていない。

だが日々繰り返される爆撃の中、退避を繰り返した人々は消耗し限界を迎えつつある。持病を抱えた高齢者や、攻撃による負傷者など、一時的にでもガザ地区から退避を望む人々は多い。彼らを阻むのは、厳しい越境手続きの壁だ。ガザ地区を出るにはラファ検問所を越える必要があるが、開戦後、越境を許されたのは、緊急治療を必要とする重症の患者か、二重国籍で外国のパスポートをもつ者にほぼ限られる。いわば事実上の国籍による差別が生じている状態だ。

自治政府のパスポートしかもたない者の越境はきわめて困難で、弱みに付け込み高額な渡航費を要求し、密航を手伝う仲介業者が横行している。多くの人々が、戦闘の続くガザ地区に閉じ込められた状態にある。エジプトへの越境希望者リストに名を連ねるため、出国先として希望する国の外務省が働きかける場合もあるという。日本に家族がおり、渡航を希望する者もいるが、ラファの通過は難しい。停戦の見通しが立たず、人道的に困難な状況におかれたガザ地区から1人でも多くの命を救うためには、各国ができる手段を尽くしていくことが求められている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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