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【時の話題:睡眠の力】
山本勲:睡眠と経済

2023/12/25

  • 山本 勲(やまもと いさむ)

    慶應義塾大学商学部教授

日本人の睡眠時間は先進国の中で最も短い。OECD統計(Gender Data Portal 2022)によると、米国や欧州諸国の人は1日に平均して8時間30分程度の睡眠をとっているのに対し、日本人の睡眠時間は7時間20分程度と1時間以上も短い。睡眠の長さだけでなく、睡眠の質についても、日本は他国に見劣りする。フィリップス社が2020年に実施した調査(世界睡眠調査2020)によると、日本の睡眠満足度は世界13カ国中で最下位だった。

このように睡眠の状態が悪いと、どのような影響が生じるのだろうか。まず、個人レベルでみると、医学・産業保健分野の多くの研究において、睡眠不足によって作業効率が低下することが指摘されている。例えば、17時間連続して寝ずに作業をすると、酒気帯び運転に相当する飲酒状態で作業しているのと同じくらい作業効率が低下するといった実験結果が報告されている。

次に、組織レベルでみると、筆者が日経スマートワーク経営研究会(日本経済新聞社)で実施した日本の上場企業と上場企業に勤めるビジネスパーソンのデータを用いた実証研究によると、従業員の睡眠の状態(睡眠時間や睡眠の質)が平均的に悪い企業ほど、利益率が低い傾向にあることがわかった。近年、従業員の健康を改善する取組みを通じて企業価値を高めていく、という「健康経営」が注目されているが、個々の従業員の睡眠の改善こそが健康経営につながるといえる。

さらに、国レベルでみても、Rand研究所が2016年に発表した試算結果によると、日本では睡眠不足によって約15兆円、対GDP比で2.9%の経済損失が生じている。また、IMFの分析によると、睡眠時間が短い国ほど1人当たりGDPが小さいといった相関もみられる。

このように、良質な睡眠がとれていないと、個人レベルで作業効率が悪化するだけでなく、組織レベルでみても企業業績の悪化につながり、ひいては国レベルで大きな経済損失が生じる可能性がある。睡眠は個人の問題として扱われることが少なくないが、経済とも密接につながっている。適正な睡眠時間を確保し、睡眠の質を高めていくことは、個々人の健康やウェルビーイングが向上するだけでなく、生産性や業績の向上、経済成長の実現につながると指摘できる。

それでは、良質な睡眠を確保するためには何が必要なのか。Rand研究所の2016年のレポートによると、睡眠不足をもたらす要因として、肥満・喫煙・運動不足などの生活習慣要因、メンタルヘルス疾患・慢性疾患・筋骨格系疾患などの健康要因、金銭問題・介護・育児などの個人要因、収入・年齢・婚姻状態などの社会人口要因、仕事のプレッシャー・裁量のなさ・非標準的な勤務・長い通勤時間などの心理・仕事要因が指摘されている。

その中でも特に日本で注目されるのが仕事要因である。というのも、働き方改革などによって長時間労働が是正されつつあるものの、未だ労働時間は他国よりも長いからである。

『社会生活基本調査』(総務省)で睡眠時間の推移をみると、統計開始の1976年以降、一貫して減少してきた平日の睡眠時間が、2020年に反転し、平均して20分程度長くなった。

その要因として、働き方改革やコロナ禍でのリモートワークによる労働時間・通勤時間の減少が挙げられる。例えば、平日の労働時間は、ちょうど睡眠時間が延びた時間と同じ20分程度の減少がみられる。つまり、働き方が変われば、睡眠時間が確保できる可能性がある。

日経スマートワーク経営研究会での筆者の分析でも、その点が明らかになっている。例えば、睡眠の状態の良好な人は、勤務先企業の平均的な労働時間が短く、本人の残業時間や通勤時間が短く、有給休暇取得日数が多く、在宅勤務を実施している人に多い。残業時間と睡眠時間の関係を計量経済学の因果推論で推計すると、残業時間が月に10時間短くなると、睡眠時間が月に約4時間長くなることもわかった。

さらに、企業で取り組んでいる様々な人材施策も従業員の睡眠と関係がある。例えば、仕事を終えた時刻から翌日の仕事を始める時刻までの間に一定時間以上のインターバルをとらなければいけない、という「勤務間インターバル制度」が活用されている職場で働く人ほど、良質な睡眠を確保できている。このほか、場所や時間の柔軟な働き方や在宅勤務制度の普及、労働時間の適性化、公正で客観的な人事、心的安全性の確保、パーパス(企業の社会的な存在意義)の理解促進、良好なコミュニケーション確保、仕事の権限・責任の明確化といった取組みがなされているほど、睡眠時間や睡眠の質がよい。

勤務間インターバル制度は2019年の働き方改革関連法において、企業での導入が努力義務化された。しかし、導入率は中小企業で5%程度、また、大企業でも15%程度と低い。さらに、上述したさまざまな人材施策も中小企業を中心に普及率は低い。ただ、逆に言えば、働き方改革が進み、勤務間インターバル制度をはじめとする人材関連施策が普及すれば、それによって日本のビジネスパーソンの睡眠が改善される可能性は十分あるといえる。睡眠を意識した企業経営が望まれる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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