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【時の話題:こども家庭庁の発足】
森山誉恵:真の「こどもまんなか社会」実現のために

2023/04/17

  • 森山 誉恵(もりやま たかえ)

    認定NPO法人3keys代表理事・塾員

日本のあらゆる制度は、未成年=未熟なものとし、保護者を介した支援が中心となっている。一方で、私たちが支援している子どもたちは、虐待、貧困、ひとり親、ヤングケアラー等の理由から子どものことを考える余裕が親になかったり、性的マイノリティ、発達障害、外国籍等で子どもが生きづらさを感じていても、そのことを親が十分に理解するのが難しかったりするケースも少なくない。“虐待サバイバー”を中心に「こども庁」が熱望されたのは、子どもと家庭を切り離し、家庭どうこうではなく、社会全体で子どもの人権を守っていこうというコンセプトだったから。しかし結局は、大人にとって耳触りの良い「古き良き(時代遅れな要素もあるので良きとは皮肉なものだが)」に近い「こども家庭庁」になった。こども家庭庁の掲げる「こどもまんなか」という理念は言うは易しだが、「こども家庭庁」ではなく「こども庁」にすることも困難だった今の日本社会では、実現にはまだまだ大きな壁があるのではないだろうか。

子ども、とりわけ小学校以上の子どもたちにとって生活の中心となるのは、家庭と、それ以上に学校生活だ。子どもの問題は縦割りにせず、連携していくという構想だが、結局、文部科学省の領域はこども家庭庁には含まれず、おもに厚生労働省の児童福祉部門がこども家庭庁に引き継がれるかたちとなった。厚労省と文科省の縦割りから、こども家庭庁と文科省の縦割りにスライドしただけで、根本的な解決には至っていない。連携を密にするというが、それができるなら厚労省の時代にもできたはずだ。

私たちは2009年から、虐待を受けてきた子どもたちへの学習支援を実施している。多くの子どもは虐待下で幼児期から当たり前の環境を奪われ、絵本を読んでもらう、動物園に行く、生活の中で言葉や数字を覚えるといった積み重ねがないまま学校生活に突入する。一方で、裕福な家庭では幼児期から英語を習ったり、幼児教室に通ったりして、小学校1~2年生レベルはすでに習得済みの段階でスタートする。

その格差を埋めていくのはこども家庭庁なのか? 文部科学省なのか? 活動を始めたころは「公教育予算はあくまで学校教育のためのもので、特定の子どもたちだけを対象に教育支援を強化することはできないので、どちらかというと福祉予算である」と言われていた。その結果、子どもたちは学校に通いながら放課後に学習支援を受けることになり、大人の都合で2回学習することになる。

放課後の遊ぶ時間、休む時間を奪うかたちでしか支援できないのは望ましい姿なのか。塾や習い事が当たり前のいびつな社会になってきているので違和感がないかもしれないが、学ぶ権利と同じように、子ども時代に遊ぶこと、休むことは大事である。本来は、子どもに負担を強いるのではなく、教育・福祉に関係なく、すべての子どもたちに学ぶ権利も、遊ぶ権利も、休む権利も保障するにはどうしたらよいか議論すべきなのである。

こども家庭庁と文科省が分断したままでは、こうした教育格差の問題や、いじめ、不登校、子どもの自殺が新学期の4月と9月に多い等、教育と福祉のどちらに責任があるか境界線があいまいな問題を置き去りにしたり、責任の押し付け合いになったり、似たような制度がそれぞれにあって利用する側に負担を強いるような問題をそのままにしてしまう。

縦割りが解消しない中、予算がどれくらい増えるかについても何とも言えない状況だ。令和2年度厚生労働省・子ども家庭局の予算が約5千億円(https://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/20syokan/dl/gaiyo-08.pdf)、内閣府・子ども子育て支援新制度にまつわる予算案は約3兆2千億円(https://www8.cao.go.jp/shoushi/budget/pdf/budget/r02_yosangaiyou.pdf)となっており、こども家庭庁が始まる前の文科省管轄以外の子ども関係予算は約4兆円近いものだった。

それに対し、令和5年度から開始するこども家庭庁の予算は4.8兆円となっている。一部、文科省の業務がこども家庭庁に移行するため詳細な分析は必要だが、大きく予算が変わったわけではない印象を受ける。一方、日本の社会保障費の大部分を占める年金・医療・介護の予算は合計30兆円近く、こども家庭庁の予算に比べ約6倍の開きがある。高齢者福祉予算を削減すべきと言いたいわけではないが、子どもに関することが、どれだけ社会ではなく各家庭で担うものになっているか感じられる数字だと思う。ましてや子どもの権利や多様性を容認する流れがある一方で、共働き世帯が主となり、それを担うだけの体力が家庭に依存した状態であるとは思えない。

これまでも厚生労働省には「子ども家庭局」が、内閣府には「子ども・若者育成支援推進本部」ができたが、縦割りの弊害等の中で大きく変わることなく、社会の関心の薄れとともに縦割りがまた1つ増えて着地するというのは馴染みのある風景だ。結局名前ひとつコンセプトどおりにいかないスタートになった今回のこども家庭庁については、そういうことにならないよう、社会全体が見守り働きかけていかなければならないと感じている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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