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【時の話題:暦を考える──改暦150年】
中西保仁:グレゴリオ暦と福澤諭吉

2023/02/15

  • 中西 保仁(なかにし やすひと)

    印刷博物館学芸員・塾員

バチカン市国にLa torre gregoriana(通称、風の塔)とよばれる建築物がある。美術館と図書館の間にそびえたつこの塔は、バチカンで最初に天文台が設置された施設として知られる。ローマ法王グレゴリウス13世は1570年代、できたばかりのこの塔に天文学者たちを集め、改暦を目指す。ローマ・カトリック教会はもちろん、プロテスタントにとっても見すごせないほど、当時のユリウス暦は1年の長さに誤差があった。82年、天文学者の優れた知見を結集することで、法王はついにその誤差を劇的に縮めることに成功した。法王の名を冠する新暦は、ユリウス暦にくらべ、うるう年の数だけでもはるかに精度が向上している。風の塔はまさに、現代のカレンダー「グレゴリオ暦」誕生の地といえるだろう。

じつは約1世紀前にも、同じように改暦を目指し天文学者がバチカンに集められたことがあり、その中にドイツ人レギオモンタヌスの姿があった。ニュルンベルクに設置した天文台で天空の動きを観察し、観測用器具まで製作するこの天文学者は、みずから印刷出版を行う印刷者でもあった。西洋で活版印刷が誕生して間もない1473年ごろに、レギオモンタヌスは印刷所を開設。プトレマイオス、ユークリッド、アルキメデスといった古代の数学者/天文学者の書物から、同時代の天文書まで刊行している。

レギオモンタヌスのようにみずから校訂し、書物を印刷・出版する学者を「学匠印刷者scholar-printer」と呼ぶ。天文学者のみならずルネサンス期の人文主義者は、ギリシャ・ローマ古典や自著を、時空をこえて人びとへ届けようと活版印刷の習得にはげんだ。実際にレギオモンタヌスが残した資料群は、時間と空間を飛びこえてニコラウス・コペルニクスの手にわたり、地動説発表に供されることになる。

グレゴリオ暦改暦後も天文学と印刷出版の緊密な連携はつづいた。彗星観測で知られるティコ・ブラーエは、観測所に印刷工場を併設し研究成果を出版。ティコの助手をつとめ、観測データを引きついだヨハネス・ケプラーは、自著の出版のため校正校閲はもちろん、資金集めから用紙手配、活字の父型彫刻および鋳造の監督まで行った。そしてやはりというべきか、みずから印刷所も開設したようだ。ケプラーは活版印刷に深くかかわりながら、コペルニクスによる太陽中心説を発展させ、惑星軌道の三法則を確立したのである。近代宇宙観を構築し、グレゴリオ暦普及をリードしたヨーロッパの天文学者のなかには、少なくない数の学匠印刷者が含まれていた。

他方、このグレゴリオ暦は日本でどのように受け入れられたのか。採用されたのは1872(明治5)年。月の運行に影響されたそれまでの暦(太陰太陽暦)をリセットすることで、文明開化を加速させようとする試みだった。

学制公布や鉄道開通など近代化にむけて激しく揺れ動いたこの年。なかでももっとも混乱を招いたのがグレゴリオ暦(太陽暦)への転換だろう。明治政府による改暦はあまりに急だった。11月9日に改暦が発表され、実施されたのが12月3日、つまり公表から実施まで準備期間が1カ月に満たなかったのだ。旧暦にあわせて農業を営んでいた農民は「新暦反対一揆」に出たり、政府周辺にも反対勢力がいたりして、改暦そのものをやめてしまえ、という機運が高まる。そんなときに国民にむけて、福澤諭吉は自著『改暦弁』で太陽暦導入に対する心構えを説く。改暦にあわせて刊行された、慶應義塾にとって最初期の刊行物の一つでもある。

政府のやり方はともかく、太陽暦がどうして必要なのか、福澤らしいわかりやすい言葉で国民に説く。新暦が必要とされる経緯を述べる中、「太陽暦がいらない、なんていう奴は大バカ者だ」と厳しく断じる箇所もある。わかりやすくためになる、と海賊版まで出る始末。いかに福澤の意見が国民の支持を得ていたかわかるだろう。先に述べたユリウス暦との誤差に触れつつ、巻末では時計の文字盤の見方まで説明している。今では当たり前の時計も当時の日本人には珍しかった。

ヨーロッパでは学匠印刷者のもとに教養ある人びとが集い、校訂、編集作業を行いながら、活発な議論が繰りひろげられていたと考えられる。福澤がいた当時の慶應義塾出版局も似た環境にあったのではないか。屋号「福澤屋諭吉」をもつ福澤は、まぎれもない出版人だった。

刊行した自著を、責任をもって販売していくという信念から、福澤は三田の構内に印刷所併設の慶應義塾出版局を設立。義塾関係者に加え、官庁や他大学からも知識人がつどう出版局からは、『学問のすゝめ』をはじめ啓蒙書が刊行され、明治初期の論壇をリードしていった。印刷機のそばで皆と語らう福澤を、日本における学匠印刷者と呼んでみたくなるのは私だけだろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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