【時の話題:暦を考える──改暦150年】
野元晋:イスラーム世界とさまざまな暦
2023/02/15
イスラーム諸国の1つを訪れた旅人は近くのモスクの塔(ミナレット)から聞こえる祈りの呼びかけ(アザーン)に迎えられる。ことに夜明けの呼びかけ(「礼拝は眠りにまさる、神は偉大なり……」)の印象深さはよく書かれてきた。イスラーム世界で用いられてきた暦を、まずはイスラームの信仰実践について日から、そして週、月、年の順に瞥見してみよう。そして暦の問題を宗教に関わらぬ周辺からも見てみよう。
イスラーム教徒(ムスリム)の礼拝は1日5回──夜明け、昼、午後、日没、夜──行われるが、中東での「1日」は日没に始まり、日没に終わるという慣習がある。つまりある週の「金曜日」は木曜日の日没に始まり、翌金曜日の日没に終わる。このため日毎に日中の長さが変わるので、礼拝の時間も日毎に細かく定められねばならない。近代以前には地域の主要なモスクには計時官がいて、太陽の運行の観測から礼拝時間を定めていた。そして週はバビロニアやエジプトの伝統により、ユダヤ教やキリスト教と同じく7日間である。共同体の礼拝の日として、ユダヤ教の土曜日、キリスト教の日曜日に対して、イスラームでは金曜日が定められ、現在も公式に週の休みの日とされる国は多い。
さて月と年だが、イスラームの宗教暦は月の満ち欠けのサイクル(約29.53日)による太陰暦(1年約354.37日)であり、預言者ムハンマド(570頃-632)が故郷マッカ(メッカ)から新天地ヤスリブ(後のマディーナ[預言者の都])へと「ヒジュラ」(移住)した年の第1月(ムハッラム月)の1日(西暦622年7月15日)を起点とする。つまりヒジュラ太陰暦と呼ばれるもので、各月は偶数月29日、奇数月30日よりなり、30年中11年、最後の月に1日を加える。この暦では当然地球の太陽の公転周期による太陽暦(1年約365.25日)とのずれが生ずる。そこで有名なラマダーン月、つまり「断食月」には夜明けから日没まで飲食を断つ訳だが、それが日が短い冬に来たり、日が長く暑さが体にこたえる夏に来たりする。ちなみに1つの月の初めは、日没後、宵の空に新しい三日月が肉眼で確認された時とされるので、月の終わりと初めが計算で決まった日から1日ずれることがある。ラマダーン月が終わらず断食をもう1日となれば厳しいが、乗り切った時の達成感はひとしおであろう。
だが太陰暦は農事を行い、その収穫を元に徴税するには大層使いにくい。だから日本や中国では太陰太陽暦という、閏月を2、3年に1度はさむなど暦と季節が大きくずれないような工夫が行われてきた。アラビア半島にもイスラーム以前には閏月を付加した太陰太陽暦があったが預言者の時代に既に廃れた。その原因の説明を聖典クルアーン第9章第36‒7節の神が定めた12の月の改変を非難する啓示に求める説があるが、異説もあり定説は定め難い。
やがてヒジュラ太陰暦は、農業と徴税の時期との調整のために、旧ローマ帝国領のユリウス暦、またサーサーン朝(224-651)以来の春分の日と秋分の日を中心としたイランの暦など、アラブ・ムスリムが7世紀中頃以降征服した地域で有力であった太陽暦と併用されるようになる。オスマン帝国の財政暦もユリウス暦を元としている。またエジプトではコプト暦と呼ばれる、同地の古代の暦(1年が365日で毎年各月30日ずつの12月よりなり最後に5日を付加)を改良し、4年ごとにさらに1日を付加し、年の初めがナイルの増水期に合わせユリウス暦8月29日にあたる農事暦もある。
さてイラン暦の年の初めの日はノウルーズ(ペルシア語で「新しい日」)と呼ばれ、春分の日と結びつけられるが、通説ではサーサーン朝滅亡以来1年が365日に固定されたり、徴税の時期の問題もあり一定しなかった。それを春分の日に固定したのがセルジューク朝のマリクシャー(在位1072-92)の時代に作られたジャラーリー暦であり、これは1年を365日とし4、5年に1回、閏年がある。これらイランの暦では各月の名にイラン固有の美しい天使名や聖なる存在の名が用いられている。最終的に現在のイラン公式の暦の1つであるヒジュラ太陽暦が確定したのは1925年で、アフガニスタンでも同様のヒジュラ太陽暦が用いられている。
他に興味深いのは中国からテュルク系やモンゴルの人々が取り入れた十二支年である。これは13世紀のモンゴルの大征服に伴ってイランとその周辺にもたらされたが、12種の動物が順序もそのままに取り入れられ、今でもイランの民間の暦には年ごとの記述や占いが記載されている。
ここで記述を割愛した暦は多く、イスラーム世界の暦はインド亜大陸や東南アジアの暦も加えれば多様さはいや増す。19世紀以来、クレゴリオ暦(現在の西暦)が加わり公式に採用されている国も多い。このようにイスラーム世界は純然たる太陰暦を宗教暦として保持したが、一方で農事や財政のためにイスラーム以前の暦が多く残り、さらにそれらが改良され、そこに外来の人々の暦も加わり、多種多様な暦が使用されてきた。その事実はイスラーム世界の文化的多様性と人々の思考の柔軟さを物語るのである。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2023年2月号
【時の話題:暦を考える──改暦150年】
- 1
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |
野元 晋(のもと しん)
慶應義塾大学言語文化研究所教授