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【時の話題:暦を考える──改暦150年】
岩波敦子:改暦を巡る攻防──暦算定から見たヨーロッパ

2023/02/15

  • 岩波 敦子(いわなみ あつこ)

    慶應義塾大学理工学部教授

暦の歴史は、人間の知的営為の歩みである。

地域・信仰・生活形態など人の営みと用途に合わせた暦は、私たちの生活にリズムとテンポを与えてきた。ヨーロッパでは、ユリウス・カエサル(前102年頃―前44年)が紀元前46年を445日と定め、暦の1年と太陽が1周する回帰年の1年とのずれを一気に解消した。以後1年を平均365.25日とし、4年に1度閏年が置かれたが、このユリウス暦施行以降も、回帰年とのずれは完全には解消されず、長く人びとの頭を悩ますことになった。現在約365.242189日である回帰年を365.25日としていたためである。

とりわけ論争となったのが、キリスト教暦で最も重要な移動祝日である復活祭期日の決定である。イエスが復活した日曜日が、太陰太陽暦によるユダヤ教の過ぎ越しの祭りと重複しないように、325年のニカイア公会議で復活祭日は春分の日以後の満月の後の最初の日曜日とされたが、太陽暦と太陰暦を組み合わせる復活祭期日を正確に計測するために、暦法コンプトゥスcomputusが編み出された。20世紀に電子計算機を意味するコンピューターが産まれたが、遥か中世ヨーロッパの時代に暦算定法としてコンプトゥスが案出されていたのである。

復活祭期日の算定は学識者達の間で統一見解を得るのが難しく、どれを採用するかで地域差が生まれた。復活祭期日をめぐってしのぎを削った学識者の中には、現在西暦と呼ばれる「主の年anno Domini」の導入に功あったディオニュシウス・エクシグウス(470年頃-550年頃)がいる。

8世紀前半に暦法の基礎を築き、中世を通じて長く読まれた尊者ベーダ(673年頃-735年)によって漸く決着を見たかに思えた暦法論争だが、カール大帝の時代には再び学識者達の間で激しい論争が繰り広げられた。カール大帝はカロリング・ルネサンスと呼ばれる文教政策を施策の柱とした統治者であり、領土各地の教育基盤の整備に注力し、言語能力の向上と並んで、正しい暦の算定に欠かせない天文学を重視、暦法改革に乗り出そうとしたのである。

時を可視化する暦の算定には、天体の運行の正確な観測が欠かせない。中世ヨーロッパはキリスト教社会だから、異教徒とは対立構造にあって、文化・学術交流はなかったと考えるのは早計だろう。中世ヨーロッパの人びとは、異教徒のアラビア世界から、暦算定に必要な数学と天文学など最先端の科学知を貪欲に受容していた。10世紀末、後に教皇シルウェステル2世となるオーリャクのジェルベールは、若い頃アラビアの科学知への窓口となっていたイベリア半島で学び、そこで会得した天体観測儀アストロラーベや天球儀アーミラリーを用いてランスの聖堂参事会学校で講義を行ったといわれる。さらに計算が容易なアラビア数字の祖型をヨーロッパ世界に導入したのも、この教皇シルウェステル2世ではないかと同時代人たちは考えていた。彼は12世紀前半、マームズベリのウィリアムによって悪魔と契約を結んだ人物と非難されている。ゲーテのファウストを彷彿させる話だが、12世紀には十字軍遠征が断続的に行われていた一方で、アラビア語からの自然科学知の翻訳が積極的に推し進められ、12世紀ルネサンスが華開いたのである。

暦を巡る議論はユリウス暦の施行から1400年を経過しても続いていた。コペルニクスが地動説を唱えた『天球の回転について』(1543年)より1世紀前に、ニコラウス・クザーヌス(1401年-1464年)が『暦の調和について』(1436年)を著しており、繰り返しユリウス暦の暦年と回帰年のずれが指摘されていた。

この状況を打開したのが、教皇グレゴリウス13世(1502年-1585年)である。最適な暦を算定せよという命を受けたリリウスは、従来の閏年に修正を加えた。100で割り切れる年のうち1600、2000など世紀数が4で割り切れる年だけを閏年とし、回帰年と暦年のずれを是正したのである。この新しい暦は1582年10月に施行され、10月4日木曜日の翌日が10月15日金曜日と定められた。曜日の順は守りつつ、10日のずれを一気に取り除こうとしたのだが、このグレゴリオ暦の導入に際して地域による時差が生じた。まず受け入れたのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどのカトリック国、遅れて同年12月にフランスが、続いてオランダが踏み切った。プロテスタント地域はずっと遅れて、カトリック地域のレーゲンスブルクは翌1583年に導入されたのに対し、ニュルンベルクでは1699年になってやっと導入されたのである。

現在も独自路線を行くイギリスは、新しい暦の導入にも二の足を踏んでいた。イギリスでは1752年9月周到な準備の末導入されたが、9月2日の次の日が9月14日とされ、失われた11日を巡ってデモが起こった。日本では1873年1月1日に改暦が施行された。今もなおギリシア正教ではグレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦、修正ユリウス暦が用いられている。精確な計測に基づいて自然を把握しようとする改暦攻防の歴史は終わることはないのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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