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【時の話題:食料安全保障を考える】
小林寛史:食料安全保障をめぐる国際社会の四半世紀

2022/10/14

  • 小林 寛史(こばやし ひろふみ)

    一般財団法人アジア農業協同組合振興機関常務理事・塾員

日本人の食生活を支える多くの食料品の価格が、ロシアによるウクライナ軍事侵攻以降相次いで引き上げられ、家庭生活に少なからぬ影響を与えている。直接の原因は、主要国の対ロ制裁がエネルギー価格を押し上げたことや、ウクライナにおける物流インフラの破壊が小麦やトウモロコシの国際相場に影響を与えたことなどである。

加えて、昨年、カナダで干ばつが発生し油糧種子生産が減少したことや、新型コロナウイルスの蔓延、円安の進行なども要因として指摘されている。

食料価格の高騰は、無論、今回が初めてではない。昨年も最終的に市場は落ち着きを取り戻したが、新型コロナ感染拡大による需要構造の変化、中国での需要増大などを背景に、一部輸出国が輸出規制を導入し、大豆や小麦の国際価格が一時強含みとなった。

また、2008年に起きた金融危機(リーマンショック)とほぼ同時期に、農産物が投機の対象となって国際価格が高騰した。この時も、輸出国による輸出禁止・制限措置や輸出税が市場を歪め、混乱に拍車をかけた。

2009年になっても食料危機は収束せず、中国等がアフリカの農地を買い漁る「農地争奪」に走るきっかけを与えることになった。

国際社会では2008年6月にFAO(国連食糧農業機関)が各国首脳級の「世界の食料安全保障に関するハイレベル会合」を開き、同年7月の北海道洞爺湖サミットでも「食料安全保障に関するG8首脳声明」が出され、輸出規制の撤廃など厳格な規律の導入が必須と確認された。

しかし、自由化の深化と対象拡大を図るWTOドーハ・ラウンド交渉が決着しないため、輸出規律を厳格化する多国間貿易ルールも実現していない。GATT21条は、戦時その他の国際関係の緊急時には、自国の安全保障上の措置を執ることを妨げないとしているが、この条文の運用条件が曖昧なことも輸出規制の濫用の原因とも指摘されている。

こうしたグローバル課題が出現するなか、主要国の農業団体の間では、これら課題への対応策を考え始めるべきだという機運が生まれ、2009年のラクイラ・サミットに先立って、G8の農業団体首脳がローマで共同宣言をとりまとめ、これを議長国イタリアの食料・農業大臣やFAO事務局長に手渡した。

この共同宣言は、①食料危機や経済危機を踏まえ、農業を戦略的分野に位置づけるべき、②開発途上国の農業者や社会が何を必要としているか考えていくべき、③バリューチェーンにおける各プレーヤーのパワーバランスを改善すべき、④農業には気候変動の悪影響を緩和する働きがあることを認識すべき、などを柱としている。

それから10年以上が経ち、国際社会では、生産から消費に至る食料システム全体を改革していく議論が着実に進展した。グテーレス国連事務総長は、2030年までのSDGs達成に向けて、昨年9月に国連食料システムサミットを開催した。

この会議に備えて、日本政府は「みどりの食料システム戦略」をまとめた。策定プロセスにおいて、生産・流通・加工・消費に関わる多様な関係者がインプットを行い、最終的に世界一律の解決策はないという前提を置いて、①現場状況を踏まえる、②イノベーションを進める、③バランスの良い食生活を進める、の3点を強調する内容となった。

国際交渉の経験が豊富な農林水産省の元高官は、同戦略は日本一国にとどまらず、アジア・モンスーン地域の国々と協力して実践していくべきと語る。この地域の農業は小規模経営が特徴で、それを踏まえたイノベーションやバリューチェーン構築が現実的な改善策となり得るからである。

そのためには、アジアの利害関係者間の情報共有やネットワーキングの場が重要な意味を持つ。また、アジア地域の政策協調の枠組みが、生産者団体を含む民間人に情報共有され、有効活用されることが「みどり戦略」に魂を入れるうえで不可欠となる。

1996年にFAOはローマで「世界食糧サミット」を開き、食料安全保障を「すべての人が安全で栄養ある食料を必要なだけ手に入れること」(世界食料安全保障のためのローマ宣言)と定義し、行動計画で「個人、家庭、国、地域及び世界の各段階」で達成すべきとした。

これを見て、食料安全保障の議論は専ら途上国問題だと主張する人もいるが、先進国の状況も楽観できない。

生産・流通・加工段階で発生する食品ロスや家庭生活・外食での食品廃棄は温室効果ガスの主要排出源である。食生活由来の生活習慣病(肥満、糖尿病など)が解消しない一方、貧困が原因で安全で栄養ある食料にアクセスできない子どもや高齢者が増えている。生産や流通は、コンピュータや衛星通信に依存しており、万全なサイバーセキュリティ対策なしで食の安定供給は担保されない。

これらは一朝一夕に解決できるものではない。すべての関係者が協調しながら、食料安全保障を一歩一歩強化していく以外に有効な方法はない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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