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【時の話題:沖縄本土復帰50年】
我部政明:沖縄返還で日本はなぜお金を支払ったのか

2022/05/13

  • 我部 政明(がべ まさあき)

    琉球大学名誉教授・塾員

沖縄の施政権返還により、3億2000万ドルが日本から米国に現金で5年の間にわたって支払われた。この金額は、当時の日本の外貨準備高152億3500万ドルの2%に相当した。

この支払いは、返還(1972年5月)を実現するための沖縄返還協定(1971年6月に調印)で、日米安保条約や米軍の地位に関する協定をそのまま沖縄に適用するための日米合意の一つであった。返還協定の第6条1項で、米国の沖縄統治の民政用資産(電力、水道、金融公社の他に道路、行政ビルなど)を日本が買い取ることとなった。2項では、日米安保条約にて日本が米軍への基地提供を定めているため、米国の資産である米軍基地が日本へ移転する際に、日本がその費用を支払うことになった。これを受けて、第7条で、冒頭に示した支払い金額が記された。

公開されてきた施政権返還の日米の公文書を読んでみると、この支払いは当時の佐藤栄作政権が求めた「本土並み」返還から米国の導き出した対応の結果であったことがわかる。本土並みとは米軍基地を本土並みに縮小することではない。沖縄を日本に「復帰」させること、つまり、再び「沖縄県」を設置することであった。ちなみに、日本の琉球併合(1879年、琉球処分とも呼ばれる)の完成として沖縄県が設置され、沖縄戦(1945年)で崩壊した。

日米安保条約第6条にて、米国は日本に基地を置くことが許されている。その第6条を具体化する地位協定の第24条にて、日本は基地の提供義務を負い、米国は基地維持の経費を負うと定められた。沖縄が「本土並み」となると、米国が建設・整備してきた沖縄の米軍基地は、日本による提供へと変わる。すると、施政権返還にともなって、米国では、とりわけ国民の税金を投入してきたその費用負担をめぐって米国議会への説明が求められる一大関心事となった。

1952年発効の旧安保条約以来、60年の安保改定後の米軍基地は、その多くが旧日本軍基地を引き継いでいた。訓練場(北富士演習場)提供や基地拡張(砂川事件)への抵抗が、沖縄と同様に起きた。また、旧安保条約下では米軍駐留経費の一部を防衛分担金として日本が支払ってきたことも政治問題化していた。しかし、朝鮮戦争休戦協定(1953年7月)以降、日本からの米地上軍の撤退(1957年から開始)により基地が縮小され、60年の安保改定に伴って防衛分担金がなくなった。沖縄を除き、日本での基地負担感は激減していった。

返還交渉にあたって米国は、施政権返還を前提として「いかに返還するのか」の方策を練ったのである。返還しないという選択肢はなく、米国は日本からの最大限の譲歩を目指した。日本は、他方で、米国が施政権返還に応じるのかどうか、把握できない状態が69年11月の佐藤・ニクソン会談の直前まで続いていた。その違いが、日本の譲歩を生んだ最大の要因であろう。米国は財政・経済の分野での譲歩を引き出すために、安全保障の分野との取引きをしないと自ら制限していた。この交渉戦略は、安全保障上、より多くのことを日本から引き出すことになった。先の3億2000万ドルは、米国が交渉で引き出した日本の譲歩の一つであった。

返還の際に、なぜ米国は日本に支払いを求めたのか。その根拠は地位協定にあった。

地位協定の第4条の規定は、日本、とくに沖縄ではよく知られている。同条1項で、基地返還に際して米国は原状回復や補償の義務を負わないと定めている。2項で、基地返還の際、それまで米国の費用で建設された施設や工作物などについて、日本は補償する義務を負わないと定めている。これは実績が少ないためか、前項に比べ知られていないようだ。沖縄の米軍基地に地位協定が適用されると、米国はこの2項に基づいて投資した費用の補償を日本に求めることができなくなる。施政権返還前に、米国は基地建設と整備の費用への補償を日本との間で取り決める必要があった。

その交渉は、日本が個別に評価額を積み重ねることを求めたのに対し、米国は一括支払い(quid pro quo)を要求した。最終的には、政治的決着により処理された。秘密の日米合意では、民政用資産買取り額として1億7500万ドル、そして返還に伴う基地返還の「移転費およびその他」として2億ドル、合計3億7500万ドルと記された。方法は、日本の要望で3億ドルを現金で分割払い、7,500万ドルを物品役務とされた。返還協定調印直前になって、原状回復補償費とVOA(Voice of America)移転費が現金支払い分に上乗せされて、総額で3億2000万ドル。協定では明記されなかった(秘密の)7,500万ドルは5年にわたり予算計上され、増額されておもに米軍基地の整理統合計画に使われた。その後は「思いやり予算」の名称で、米軍への財政支援が続く。米軍駐留経費をめぐる日本負担の原型が、沖縄の施政権返還とともに生まれた。

現在、沖縄の名護市辺野古で飛行場建設が進む。その普天間基地の「移転費」は日本の負担が前提になっている。その源流は、沖縄返還にまで遡る。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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