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【時の話題:沖縄本土復帰50年】
稲嶺惠一:本土復帰50年に想う──慶應義塾と沖縄

2022/05/13

  • 稲嶺 惠一(いなみね けいいち)

    元沖縄県知事、沖縄三田会名誉会長

最後の米沢藩主、上杉茂憲(もちのり)が第2代沖縄県令として沖縄に着任したのは1881(明治14)年、「琉球」から沖縄県へ世変わりした2年後のことである。

沖縄近代化に貢献した慶應トリオ

政府の旧慣温存政策に異を唱え、県政の刷新と旧習の打破を旨とした政策を推し進めたため、1883年、着任後僅か2年で罷免された。悲劇の殿様と言われた茂憲の、唯一取り入れられた政策は、県費留学生の制度であった。

茂憲は5名の優秀な学生を選抜し、学習院に送り込んだ。内4名は慶應義塾に転校。司法の道に進んだ山口全述(やまぐちぜんじゅつ)を除く他の3名は、沖縄に帰郷、政界、財界、マスコミ界を股にかけ、八面六臂の活躍をした。

太田朝敷(おおたちょうふ)は、琉球新報を創設後に社長、沖縄砂糖会社社長、首里市長を歴任、高嶺朝教(たかみねちょうきょう)は、太田と共に琉球新報創設に加わり、沖縄銀行頭取、初代県議会議長、沖縄初の衆議院議員、首里市長を務めた。岸本賀昌(きしもとがしょう)は、衆議院議員、沖縄毎日新報社長、沖縄銀行頭取、那覇市長を務めた。

まさに人材育成の見本である。福澤諭吉精神を学んだ彼等の沖縄近代化へ果たした役割は大きい。

しかし留学生制度は、初回のみで打ち切られ、その後、沖縄から慶應への入学はほとんどなく、慶應出身者は、ポツンポツンと現れる程度だった。

沖縄三田会結成

戦後、沖縄は米国統治下におかれ、米国留学、本土国費留学制度がスタートしたが、塾進学者は依然として数は少ない状況が続いていた。一方早稲田大学は、八重山出身の大濱信泉(のぶもと)総長の配慮で、沖縄で現地受験を行い、年30名の合格者を確保していた。早稲田勢の肩で風を切る勢いに危機感を抱いた塾員の嶺井政雄、宮城義明、金城信雄、當間重彦の4名は、三田に赴き、「沖縄枠の実現」を要望した。それに対し、「慶應は、全世界を対象にしているので沖縄だけを特別視するわけにはいかない」との冷たい返事が返ってきたという。

一時は落胆したものの、1963年、塾の卒業式で、宮古出身の真喜屋浩が、医学部総代に選ばれたシーンに感激し、やるべきことから手をつけようと、嶺井政雄会長の下、沖縄三田会を結成する運びになった。以降、十数名と少人数ながら毎年開催された。

本土復帰後の動きと沖縄通信三田会

1972年の復帰後、県内進学者は、それほど増えなかったものの、数多くの本土企業が県内に支店、営業所を設け、そのメンバー内に塾出身者も多く、沖縄三田会は賑わいを見せるようになった。

本土勢にとって、初めての地で、いきなり、人脈も情報も摑むことが出来るので積極的に参加した。ただ本土企業は、人事異動が激しく、メンバーは流動的であった。

塾への進学者が少なかったため、沖縄三田会を活発にするために、沖縄通信三田会、医局経験者、父兄と、ともかく塾に関係する人は積極的に勧誘した。その中でも復帰2年前、1970年に立ち上げられた沖縄通信三田会(和泉川信会長)の存在が目につく。米国統治下、船と夜行列車を乗り継いで上京し、1カ月半にも及ぶスクーリングを職場に気兼ねをしながら体験、中には十数年かけて卒業したメンバーもいた。それ故かえって愛校心は強く、他県組織との交流も大事にしていた。彼らは、引き続き沖縄三田会の活動にも積極的に参加した。

本永新体制への移行

米軍統治下、沖縄の学力レベルは低く、直接有名校へ進学することは難しく、中学、高校から本土留学するケースも多かった。

幸いに本土復帰後、学力も向上し、進学校も出てきた。それに伴い慶應への推薦枠を与えられた高校も増えてきた。特に湘南藤沢キャンパスのスタート以来、急激な伸びを見せた。

その間、鳥居泰彦塾長(当時)はじめ、多くの塾関係者が来沖、沖縄三田会や大学塾生家族地域連絡会に出席し、誠意ある対応を見せたことは、その動きをさらに加速化させたと言えよう。

それに伴い、沖縄三田会の会員も徐々に増え、200名の大台を突破するまでになり本土勢より地元勢が多くなった。従来の社交クラブ的活動から組織的活動に移行出来る状況になってきたところで、私も嶺井政雄会長の後、約40年間続けた会長職を辞し、沖縄電力の本永浩之副社長の社長昇任を機に、本永新会長の下、新たな沖縄三田会がスタートすることになった。しかも慶應連合三田会の常議員として本永新会長と知花武信理事両名が就任することになり、沖縄三田会のムードがさらに盛り上がった。

沖縄三田会は九州三田会の一員であるが、従来、体制の未整備を理由に持ち回り開催を辞退してきた。今後は、本永新体制の下、九州三田会を沖縄で開催出来る日が1日も早く来ることを願っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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