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【時の話題:“新書”で英語を学ぶ】
今井むつみ:英語を自由に使うための"スキーマ"の習得

2022/01/20

  • 今井 むつみ(いまい むつみ)

    慶應義塾大学環境情報学部教授

学ぶとはどういうことか。今まで持っていなかった情報を知り、自分の中に取り入れ、記憶することが学ぶことだと思っている人は多い。しかし、テキストを読んだり、講義を聴いたりする時、その情報はどのように私たちの中に入ってくる・・・・・のだろうか?

私たちはテキストや講義を、録音機のように一言一句記憶に入れ、保存することはできない。それどころか、内容のごく一部分しか取り込めず、記憶できない。情報を自分の中に入れ、それを記憶する。私たちが毎日していることであるが、その過程で大事な役割を果たしているのが「スキーマ(Schema)」である。拙著『英語独習法』(岩波新書)でも触れたが、「スキーマ」とは、持っていることも意識されない「暗黙の知識の塊」のようなものである。スキーマは人が無意識のうちに自分で経験を一般化してつくり上げるもので、無意識に情報の選択を行い、理解を助け、情報を記憶に取り入れること、記憶にある情報を取り出すことに深く関与する。情報を「理解する」ということは、外界にある情報の行間をスキーマで補って、情報の解釈をすることに他ならない。スキーマが想起できず、情報の行間をスキーマで補えないと、その情報はほとんど理解できない。理解できないからむろん記憶もできない。

スキーマはいつも正しいとは限らない。例えば、数はモノを数えるためにある、という誤ったスキーマを多くの子どもが持つ。乳児の時から数のことば(イチ、ニ、サン……)を頻繁に聞くが、ほとんどの場合、モノの数を数える文脈で使われるからである。この誤ったスキーマは、後に子どもの算数の学習を困難にする。モノを数えるための数は自然数に限られる。分数の概念はこのスキーマに反するので、子どもは分数の学習に著しい困難を覚える。

スキーマは言語の学習にも深く関わっている。子どもはことばを覚えながら、単語の意味を覚えるだけでなく、語彙そのものに潜むパターンや規則性に気づき、スキーマをつくる。例えばモノの名前なら、色、素材、大きさではなく、形が似ているモノに覚えたことばを使える。動きのことば(動詞)なら、動作主や動作の対象ではなく、同じ動きに覚えたことばを使える、などである。子どもはこのようなスキーマに導かれ、語彙を成長させている。

しかし、ここでも、スキーマが誤っていると、覚えたことばを誤った方向へ拡張させてしまう。この問題は外国語の学習で顕著になる。人は母語(第一言語)について、非常に豊かなスキーマを持っている。外国語を学習する時、初心者は、その外国語についてのスキーマを持っていない。しかし、スキーマがないと、単語の意味の推論は難しい。子どもは母語の単語を覚えながら語彙の構造を発見し、母語の学習のためのスキーマをつくっていく。しかし大人はすでに母語のスキーマがあり、それを外国語の学習の時に無意識に使ってしまうのである。例えば、日本語と英語のように、言語の構造が大きく異なると、必然的にスキーマも異なる。外国語に母語のスキーマを使ってしまうとさまざまな問題が生じる。

例えば、名詞を覚える時、英語話者は必ずその名詞が可算なのか不可算なのかに注目する。子どもは大人の発話からそれを見極め、名詞の意味の推論に使う。英語では、動作と状態や結果は異なる動詞を使ってはっきりする場合が多い。動詞を学習する時は、その動詞が進行形を示唆するing の形でよく使われるかどうかに注目する。ingと一緒に使われる動詞は、状態や結果ではなく、動作を表す動詞である確率が高い。逆にing と一緒に使われない動詞は状態や結果を表す動詞である可能性が高い。そういうスキーマをつくり、知らない動詞の意味を推論する。

日本語は、名詞を可算、不可算で最初から区別しない。「最近コンピュータを買ったよ」「さっき水を飲んだよ」ではどちらの名詞も、そのまま使われていて、形態から前者が可算、後者が不可算ということはわからない。動詞も日本語では動作の動詞と状態や結果を表す動作の区別が曖昧である。「寒いからコートを着なさい」と「かわいいコートを着ているね」と言いたい時、英語ではまったく異なる動詞を使わなければならないが(前者はput on、後者はwear)、日本語は「着る」を動作にも状態にも用いる。しかも、「…ている」という活用も、「今服を着替えているところ」「今着ている服どこで買った?」のように、動作にも状態にも使ってしまう。このような日本語に乳児期から慣れ親しむと、可算不可算の区別や動作と状態の区別など、英語を習得し、運用する上でとても大事な概念的な区別に注意を向けることが難しくなる。「着ている」と言いたい時はいつもwear ね、という方程式を暗黙の裡につくってしまう。ちなみにこれ(母語と外国語の単語が一対一で対応する、という認識)は外国語学習者が持ちがちな「誤ったスキーマ」の典型である。

結局母語を確立した後で外国語を学習するためには、母語で自分が持っているスキーマと学習している外国語の母語話者がもつスキーマの違いを分析し、意識して、スキーマを置き換えていくプロセスが必要になるのである。

英語独習法
今井むつみ
岩波新書
282頁、968円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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