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【時の話題:「家族のかたち」を考える】
駒村圭吾:褪色する"家族の肖像"の前に立ちすくむ憲法

2021/11/19

  • 駒村 圭吾(こまむら けいご)

    慶應義塾大学法学部教授

ふだんは三田の研究室で憲法の研究をしているが、時に書斎の外に呼び出され、研究活動とは別の仕事をすることがある。審議会委員、高大連携、エッセイ執筆、講演会、等々と呼び出される先はさまざまだが、中でも裁判の実務に関わってほしいという呼びかけには原則応ずることにしている。書斎で組み立てた自分の理論が現実社会に影響力を持ち得るか、それを確かめる最高のテストの場であるからである。言ってみれば、自分の学習成果を試す最終試験のようなものか。できれば受験は避けたいという気持ちと、能力の客観的評価を受けてみたいという、両義的な瞬間が、語弊があるかもしれないが、じつにたのしい。また、訴訟活動で弁護士と一緒にコラボすること自体が、いつもは孤独な研究者にも、チームワークの達成感を味わわせてくれるということもある。

という次第で、私は同性婚訴訟に関わっている。これは、東京、札幌、名古屋、大阪、福岡と多くの管轄で同時多発的に提起された。かかる“大仕掛けも手伝ってか、とても熱量の高い弁護士たちと、意見書の執筆を超えて、ああでもないこうでもないと議論する機会をもてた。

そんな甲斐あって、札幌訴訟の第一審判決では、同性婚を認めない現行法制は憲法違反であるとの判断を得た。「大きく一歩前進!」という関係者の言葉を報道は伝えている。確かに、大きな意義のある判決であったことは否定できない。

いや、奥歯にものの挟まった言いかたはやめよう。ここはやはり、正確に述べておかなければならない。違憲の根拠は、婚姻にともない異性カップルには認められるさまざまな便益が、同性愛者にはその一切合切が一律に・・・・・・・・・・認められていない点が平等に反する、というものであった。これは裏を返せば、同性カップルに婚姻から生じる便益を部分的に・・・・提供できればオーケーということである。さらに、現行の婚姻制度と同じ便益をすべて同性カップルに対して提供する別の・・法制度が設けられれば、たとえそれを「婚姻」と呼ばずに既存の婚姻制度からなお同性カップルを排除したとしても、ゼロだった便益がフルスペックで認められたのであるからそれはそれで違憲性は解消される。民法で同性カップルを異性カップルと同等に扱うのではなく、同性婚特例法のような別類型を設けて、両者の区別を死守することも解決策の一つとなろう。これらが判決のもたらしうる結末である。「婚姻」としての同性婚を求めている原告からすれば、ありがた迷惑ともいえるこの札幌地裁判決に対して、弁護団は控訴に踏み切った。

札幌地裁の“違憲判決”に潜む保守的性格は重要な論点であるが、こういうまわりくどい法解釈はすこし横において、同性婚訴訟の核心をすっきりとまとめておきたい。

《一対の当事者が取り結ぶ親密な関係の実態は異性カップルとまったく変わらないのに、どうして現行法は同性カップルを婚姻制度から排除しているのか?》、これが当事者の痛切な問いかけである。なぜ痛切か。法制度としての婚姻がもたらすものは2つ。1つは社会的承認。もう1つは婚姻の当事者に付与される権利・義務、その他法律上・事実上の便益の数々。人生の豊穣さも苦難もその一切を分かち合い、相互に支え合って、添い遂げようとしている2人でも、同性カップルにはこれらが一切与えられない。相続もできないし、生命保険の受取人に指名もできないし、臨終をみとることもできない。「家族」になるためにパートナーと養子縁組する人さえもいる。

同性愛に対する見方はいろいろあると思う。しかし、想像してみてほしい。愛し合ってしまったのだから、異性でも同性でも、それが生み出す美質に変わりはない。同等の尊厳をもって迎えられるべきなのに、一方は祝福され、他方は否定される。法的に家族として認められないパートナーを介護している同性カップルがいる。子どもがいても共同親権を行使できない同性カップルがいる。パートナーは老い、子どもは成長する。もう時間がないのだ。私たちはいつまで、このような残酷な制度対応を続けるのだろうか。“アウトサイダーたち”の悲劇を物語として消費する欺瞞をいつまで続けるのだろうか。裁判官たちに訊きたい。この現状に、憲法は──そして司法は──いかに立ち向かうべきなのだろうか。

今、家族をとりまく法的問題が、かなりの深刻さで危機的な状況を迎えている。同性婚問題、選択的夫婦別姓問題、そして、皇位継承問題と皇室の在り方、等々。制度の本格的見直しを先送りにしているのは、旧い“家族の肖像”にしがみつく姿勢である。“家族の肖像”の前に佇立しそれを眺めているだけでは、なつかしいあの日は戻ってこないし、死者は決して生き返らない。新しいそれを描いてみるしか家族が生き延びる道はないのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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