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【時の話題:「家族のかたち」を考える】
松木洋人:「家族のかたち」の多様性と不平等

2021/11/19

  • 松木 洋人(まつき ひろと)

    大阪市立大学大学院生活科学研究科准教授・塾員

昨今の日本社会でキーワードになっている言葉の1つが多様性(ダイバーシティ)であることに異論は少ないだろう。そして、「家族のかたち」についても、その多様性がしばしば論点になっている。

同性カップルをめぐる動向は、その顕著な一例である。2015年の東京都渋谷区と世田谷区を皮切りに、同性カップルをパートナーとして認定する制度をもつ自治体は増加しており、今年3月には、同性婚を認めていない現在の法制度は「法の下の平等」を定めた憲法14条に反するという初めての判断が札幌地裁で示された。

また、昨年12月に閣議決定された第5次男女共同参画基本計画から「選択的夫婦別姓」の文言が削除されたことや、今年6月に最高裁が夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲と判断したことも議論を呼んだ。ほかにも、配偶者と離婚や死別したひとり親だけではなく、婚姻歴のないひとり親も所得控除を受けられるようにする税制改正が、自民党の保守派からの反発を受けつつも、昨年から実現している。

とはいえ、「家族のかたち」がどのように論じられるのかは時代によって移り変わりがある。そして、それは筆者が専門とする家族社会学という領域でも同様である。

たとえば、高度経済成長期の家族社会学において盛んに指摘されていたのは、戦後の都市化や工業化の進展とともに、1世帯あたりの人員数が減少していることや世帯総数に占める核家族世帯の割合が上昇していることだった。当時の家族社会学における「家族のかたち」への言及は、戦後の日本社会における家族の変化の方向性を把握しようという関心に支えられていた。このため、ひとり親家族が「欠損家族」と呼ばれて、少年非行との関連などを指摘されることはあっても(たとえば、光川晴之「欠損家族」大橋薫・増田光吉編『家族社会学』所収、川島書店、1966)、「家族のかたち」の多様性やそれに伴う不平等が充分に注目されてきたとは言いがたい。

これに対して、昨今の日本社会で議論の焦点になっているのは、まさに多様な「家族のかたち」のあいだに存在する不平等だろう。同性婚の制度化を求める主張とは、法律婚が異性愛者のみに許された特権となっている現状に異議を申し立て、誰もが結婚できる「婚姻の平等」を求める主張である。また、夫婦別姓を望む者がその希望に即した結婚ができないことや、配偶者と離婚や死別したひとり親が受けられる税負担の軽減を、いわゆる「未婚の母」が受けられないことの不平等が問題化されてきたわけである。さらには、長年、見直しの必要性が主張され続けている配偶者控除についても、この制度が共働き世帯よりも専業主婦世帯を優遇するという意味で公平性を欠くことが批判の1つの根拠となってきた。

このような社会的関心の高まりと歩調を合わせるかのように、家族社会学における「家族のかたち」への関心のありかたも変化しており、「家族のかたち」をめぐる不平等についての研究が蓄積されつつある。特に注目されているのは、ひとり親家族で育つことの負の効果である。たとえば、親の離婚を経験した者はそうでない者に比べて、高等教育への進学率や親子関係の良好度、親子の会話の頻度が低くなることが指摘されている(稲葉昭英「離婚と子ども」稲葉昭英・保田時男・田渕六郎・田中重人編『日本の家族1999-2009 ──全国家族調査[NFRJ]による計量社会学』東京大学出版会、2016)。また、親の離婚経験者は、学歴が低くなったり早婚になったりしやすいことを通じて、自身も離婚する確率が高くなるという研究もある(吉武理大「離婚の世代間連鎖とそのメカニズム──格差の再生産の視点から」『社会学評論』70(1)、2019)。このように、ひとり親家族で育つことは子どもの人生に様々な不利をしばしばもたらすことになる。

これらの研究が示唆するのは、「だから子どものために離婚はすべきではない」ということではもちろんない。むしろ、結婚の3分の1が離婚で終わるといわれるなかで、離婚を選択するハードルは以前よりも低くなり、ひとり親家族の存在は身近になってはいるものの、ひとり親家族に対する社会保障の充実によって、親が離婚しているか否かにかかわらず、子どもたちに平等な人生の機会を保障する社会の仕組みを実現できていない、ということをわれわれは直視すべきである。

つまり、多様な「家族のかたち」が可視化されることは非常に重要であるが、それだけでは充分ではない。もちろん、同性婚や選択的夫婦別姓の制度化のように、多様な「家族のかたち」を選ぶことを可能にする制度変更がまずは必要である。しかしそれと同時に、どのようなかたちの家族のもとで生活することになっても、ライフコース上の不利益が生じることのない社会の仕組みを実現することもまた不可欠だろう。多様性を称揚するにとどまらず、このような制度変更や社会の仕組みの実現によって、「家族のかたち」をめぐる不平等を克服すること。これが達成されなければ、多様な「家族のかたち」が尊重されているともいえないのではないだろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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