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【時の話題:「家族のかたち」を考える】
下山田志帆:私が描く家族のかたち

2021/11/19

  • 下山田 志帆(しもやまだ しほ)

    女子サッカー選手・塾員

今年で27歳になった。地元では20歳前後で結婚した友達も多く、子どもがそろそろ小学生になるという。大学時代、ともにインカレを目指し切磋琢磨した先輩や同期も続々と「家族」を築き始めている。

パートナーと付き合って5年が経つ。大学4年次から付き合い始め、ドイツでプロ選手をしていた2年間の遠距離を乗り越え、日本での同棲生活も3年目に突入した。以前、大学の友達と飲みに行ったパートナーが泣きながら帰宅したことがある。きっと楽しい会だろうと思っていただけに、驚きが隠せなかった。「どうしたの?」と尋ねると、戸惑いながら口を開いた。「いつか、結婚できる恋愛が見つかったらいいねって言われたの。志帆といつか別れるんだろう、結婚できなくて可哀想だって思われてるんだと思ったら辛くなった」と。

世界で初めてオランダで同性婚が法制化したのは2001年。それから20年がたった今でも、日本では同性同士で結婚することはできない。自分は女性が好きなんだと気がついてから、「結婚・子ども・家族」は私の中で他人事になった。自分には縁がなく、一生独りで生きていくとすら思っていた。

でも、心からずっと一緒にいたいパートナーに出会い、これからも2人でいたいと思った。ドイツに渡り、同性カップルの結婚式や、将来の家族構成を目を輝かせて話すチームメイトの姿を見て、心から羨ましいと思った。日本に帰り、同性カップルやFTM(Female to Male、女性として生まれ男性として生きることを望む人)カップルが子育てしている姿を目の当たりにし、自分も子どもが欲しいと思っていいと気付かされた。私が心の奥底で望む生き方は国によって諦めさせられていたことを、隣にいるパートナーと周りにいる素敵な人たちに教えてもらったのである。独りではなく、私も、家族と一緒に生きていきたいのだと。

体育会ソッカー部女子時代の戦友で、卒業後も仲の良い先輩がいる。その先輩が、一昨年結婚し、昨年には子どもが生まれた。たびたびパートナーとお家にお邪魔しては、子どもを可愛がらせてもらっている。先輩夫婦は2人とも本当に良い人で、私達の憧れだ。和気藹々と子育てしている姿に、家族って良いなあと思わずにはいられない。

LGBTQアクティビストで、東京レインボープライドの旗揚げ人でもある杉山文野(ふみの)さんのご家族も、私の憧れだ。文野さんは、生まれた時の身体的性別は女性で、性自認は男性のFTMだ。日本では、戸籍を男性に移すためには子宮、卵巣を摘出しなければならないのだが、何と言っても身体的負荷が高い。そのため文野さんは、ホルモン注射と乳房切除は行っているものの子宮、卵巣摘出はしておらず、戸籍上は女性である。そんな文野さんにはお子さんが2人いる。ゲイである親友の精子提供を受け、パートナーとの間に授かったお子さんたちだ。文野さんの著書『3人で親になってみた』を読むと、3人の愛がお子さんに注がれて、ハッピーであふれていて、どんな背景があったとしても家族は家族なのだと強く感じる。パートナーとの婚姻関係は“もちろん”結べない。でも、そこにあるのはまぎれもない家族の姿だ。

こうした家族は、国の法律と個人の意識によって可視化されていなかっただけであり、これまでもさまざまな家族の形が存在していたはずだ。事実婚を選択している家族、子どもはつくらず2人で生きている家族、シングルマザー同士で助け合いながら暮らす家族、恋愛感情のないセクシャリティの2人で暮らす家族……ここには挙げきれないほどの家族の形が、世界には存在している。どの家族の形も素晴らしくて、どの家族の形もとても尊い。

「結婚できる恋愛が見つかったらいいね」。私のパートナーがあの日言われた言葉は、“普通”の押し付けでしかないのだと思う。普通は異性同士が恋に落ちて、普通は結婚をして、普通は子どもを産んで……それが普通の家族。世の中は、誰が決めたのかわからない普通を基準に回っている。でも、そもそも“普通なんてない”のだとしたら。みんながちがう家族の形を持っているのだとしたら。前提が変わることで、変えていける構造があると思う。

私とパートナーは、現在「Famiee(ブロックチェーン技術を用いた民間発行のパートナーシップ証明書)」と「世田谷区同性パートナーシップ宣誓」にて、正式に家族になろうと話をしているところだ。同性婚が法制化されていない今、家族のあり方を問い直し、誰もが望む生き方ができるようにと動いてくれている人たちがいる。その人たちのおかげで、“普通の家族”が基準であることに違和感を持てるようになったし、自分たちが思う家族の形を誇りに思えるようにもなった。

一方で、結婚する選択の自由がないことは、やはり不公平だなとも思う。そもそも、国に認められるかどうかのジャッジ対象となることは人としての尊厳がない。誰かの生き方を奪いたいわけではなく、自分が望む生き方を選択できるかどうか。それを求めているだけなのに。

私たちはたくさんの選択肢からこの家族の形を選んだのだと、どんな場所でも誇れるような社会を生きていきたい。友達とご飯に行ったパートナーには心から楽しかったと笑顔で帰ってきてほしい。そんな未来を見つめている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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