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【時の話題:「ルッキズム」を考える】
外川浩子:「見た目問題」から考える、ルッキズムの行く末

2021/08/20

  • 外川 浩子(とがわ ひろこ)

    NPO法人マイフェイス・マイスタイル代表・塾員

ルッキズム(外見至上主義)とは、簡単に言うと、外見だけで人を判断すること。そこまで極端ではないにしても、美しさや格好良さが、学校や職場などの人間関係において強い影響力を持ち、見た目が魅力的な人ほど優遇されるような状況を示しています。テレビをつけてもネットを見ても、まるで見た目が人生を左右するかのような情報があふれていて、「日本はルッキズム天国のようだ」と感じています(外見、容姿、容貌といった類語がある中で、ここではわかりやすくするために「見た目」を用います)。私たちのNPOは見た目が重視される現代に、誤解や偏見に苦しむ人たちが生き生きと活躍できる社会を目指して活動しています。

かくいう私も中高生のころは「どんなに建て前をつくろっても、所詮、人は見た目で決まりでしょ」と考えていました。しかし、年を追うごと、たくさんの人と出会い、さまざまな経験をするうちに、「美人が得をすることは多々あるけれど、世の中はそんなにも単純ではない」と気付きました。

例えて言うなら、子どものころはブスッとして怖そうなお医者さんより、格好良くて優しそうなお医者さんを選んだりします。だけど、大人になった今、もしも生死をかけた手術を受けるというような場面に遭遇したら、能力で選ぶはずです。格好良いけど手術の成功率が10%の医者に頼むか、はたまた、見た目は冴えないけれど90%の成功率をもつ医者に頼むか。極端な例えですが、生死がかかっているのですから後者を選ぶのは明白ですよね。

思うに、人は社会の中で多くの経験を重ねながら、見た目のようなわかりやすいものだけではなく、さまざまな要素で物ごとを判断するようになる。それは、多様な価値観を身につけるということとも言えるでしょう。そして、身につけた価値観が増えるにしたがって、自然とルッキズムのような考え方は影を潜めていくのだと思うのです。

ちょっと乱暴かもしれませんが、その理屈を、人の集合体である「社会」に置き換えてみても、同じようなことが言えるのではないかと私は考えています。

実際、ルッキズムの象徴のようなミスコンテストも、近ごろ、大きく変わりつつあります。ウェディングドレスの着用を取りやめたり、水着審査を廃止する大会なども出てきました。

人の見た目を茶化すような、所謂「容姿いじり」に対する社会の反応も厳しくなってきています。「容姿いじりはだんだんウケなくなってきている」と芸人さんがテレビで語っていたのが印象的でした。また、東京オリンピックの開会式に、ある女性タレントの体型を揶揄するような演出を提案したクリエイティブディレクターが辞任したニュースは記憶に新しいことと思います。

以上のようなことからしても、さまざまな価値観を認めあう社会の流れの中で、ルッキズムは時代遅れになっていくのでしょう。

ところで、「見た目問題」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「見た目問題」とは、顔や体に生まれつきアザがあったり、事故や病気による傷、変形、欠損、脱毛など見た目に特徴的な症状をもつ人たちが、差別や偏見のせいでぶつかってしまう困難のことです。ジロジロ見られたり、心ない言葉で傷つけられたり。いじめのターゲットにもなりやすく、学校や就職、恋愛、結婚といった人生の節目節目で大きな壁にぶつかってしまいます。

例えば、生まれつき顔に赤アザのある男性はクラスメイトから無視されたり、「キモイ」と言われたりしたそうです。また、生まれつきの病気で片目がうまく開かない女性は「お岩さん」「うつるから近寄るな」と言われ、暴力までもふるわれました。

他にも、「化け物」「死ね」と罵倒されたり、「その顔でよく生きていられるね」「私だったら、自殺するけど」などと言われたり。「おぇっ、気持ち悪い」と目の前で吐くまねをされた人もいます。傷つけられ、孤立を深め、自ら命を絶ってしまう人もいるほどです。

ルッキズムがはびこると「見た目問題」を抱える当事者はますます生きづらくなる。それは容易に想像がつきます。当事者がどんなに知見を深め、技術を磨いても、ひとたび見た目の美しさが求められれば、力を生かすチャンスすら奪われてしまうからです。

顔にアザがあるだけで、顔が左右対称ではないだけで、人生がマイナスからスタートしているようなものです。そんな現実と向き合いながら、「見た目問題」当事者は生き延びていかなくてはなりません。

「ルッキズムは時代遅れになっていく」と言いましたが、まだまだ幅を利かせているのが現状です。相変わらずテレビや雑誌をはじめ、SNSやYouTubeなどでも「見た目がすべて」のような情報が氾濫しています。

けれど、時代が進み、多様な価値観が広まっていけば、「見た目がすべてではない」という至極真っ当な考えがもっと多数を占めていくのではないかと思うのです。見た目に症状がある人たちが肩身の狭い思いをしなくて済むような、そんな世の中に一日も早くなることを目指し、活動を続けていきたいと思います。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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