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【時の話題:「ルッキズム」を考える】
久保友香:女の子たちはなぜ「盛る」のか

2021/08/20

  • 久保 友香(くぼ ゆか)

    メディア環境学者・塾員

「外見を変えても、中身は変わらないのに、日本の女の子たちは、なぜ、目を大きく見せようとするの?」と、化粧品メーカーに勤めるフランス人の方から質問されたことがある。彼女は、日本の女の子が「中身」よりも「外見」重視であるという印象を持っているようだった。たしかに2000年代後半、日本の女の子は目を非常に大きく見せた、いわゆる「デカ目」の顔写真を、当時彼女たちの間で普及していたガラケー向けのケータイブログなどに多く投稿していた。そのような実際とは異なる外見をつくることを、彼女たちは「盛る」と呼ぶ。私はこの「盛る」という行動に技術的観点から着目し、そのころ、それに力を注ぐ女の子たちへのインタビューを始めた。「なぜ「盛る」のか?」とたずねると、最初は誰もが答えに困っていた。試しに「男の子にもてたいから?」と聞くと「そうでないこともないけれど、そうということはない」など曖昧に答えた。そして最後に辿り着くのは意外な答えで、「自分らしくあるため」と言った。「デカ目」の女の子たちの顔は、私にはそっくりに見えた。生物には多様性があり、人の自然のままの顔には個体差があるが、人工的に「盛る」と画一的になる。しかしそれとは反対の「自分らしさ」や「個性」という言葉を、最後は誰もが口にしたのだ。なぜか?

その謎を解くために「デカ目」の女の子たちの行動観察を始めると、いくつもの発見があった。例えば、彼女たちが目に付けていたつけまつげは、既製品をそのまま使うのでなく、複数の商品を切り刻み、組み合わせて、自分仕様にカスタマイズしていた。これらの事実を知ってから彼女たちの顔を見ると、そっくりに見えていた「デカ目」から、個性が浮かび上がってきた。つまり「デカ目」をつくる女の子たち同士では、最初から互いに個性が見えていたのだ。彼女たちは、ケータイブログに投稿されていた他の人の写真を参考にしながら、細部に変更を加え、できた写真をケータイブログに投稿して、それがさらに他の人の参考になるのが「うれしい」と言った。「デカ目」という型を共有し、細部に個性を表して、参考にし合うビジュアルコミュニケーションで、リアルに会うことのない女の子たちが、バーチャルにつながり合っていた。「なぜ学校の友人もいるのに、ケータイブログでもつながりを求めるのか?」と聞くと、学校の友人とも仲良くしているが「本当に自分と合う人がそこにいるとはかぎらない」からだと答えた。彼女たちはどこかにいる「本当に自分と合う人」を追い求めて、インターネット上で「盛る」のだとわかった。

2010年代半ばになると「デカ目」の顔写真はあまり見られなくなった。女の子たちはガラケーからスマートフォンに持ち替え、写真のおもな投稿先はInstagramになった。そこに多く投稿されたのは、自身の姿だけでなく、服や小物やロケーションを組み合わせて、幻想的なシーンをつくり出した、いわゆる「インスタ映え」の写真だ。さらに2020年ごろからは、コロナ禍の自宅での上質なライフスタイルを演出した動画が、InstagramやYouTubeやTikTokに多く投稿されている。変化の背景には、彼女たちを囲むビジュアルコミュニケーション環境の変化がある。ケータイ付属のカメラは小さく、顔や目のような小さい対象しか高精細に撮影できなかったが、スマートフォン付属のカメラはシーンのような広い対象でも高精細に撮影できるようになり、さらに近年は機械学習を用いた画像処理で動画の撮影機能が向上した。このような技術革新を活かし、彼女たちの「盛る」対象は「目」から「シーン」から「ライフスタイル」へと変化した。投稿には日本語だけでなく韓国語のハッシュタグも添えられ、学校どころか国境をも越えて「本当に自分と合う人」を追い求めるようになっている。

そこでは顔を隠すことが増えた。自身の姿は映っているが、顔の上にイラストを合成したり、トリミングしたりしている。理由を問うと、顔は他の人の「参考にならないから」と答えた。人の自然のままの外見には個体差があり、顔はいくら人工的に加工してもその影響を拭い去れない。個体差があると、他人の方法を自身に活かしづらく、参考にしづらいのだ。だから彼女たちは、他の人の参考になるように、シーンやライフスタイルのような、個体差が影響しづらい外見を見せ合う。デカ目の顔写真で見せ合っていたのも、顔そのものではなくアイメイクだった。一方、個体差が影響しやすい顔は、「盛る」ことで画一化したり、隠してしまう。彼女たちのコミュニケーションはたしかに「外見」重視ではあるが、自然のままに「ある外見」ではなく、人工的に「つくる外見」である。そしてそれが、努力や創造性など内から出てくるもので成り立つとすれば、「外見」よりむしろ「中身」重視と言えるのではないか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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