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【時の話題:ベーシックインカム考】
最低生活保障から見たベーシックインカム

2021/04/21

  • 山田 篤裕(やまだ あつひろ)

    慶應義塾大学経済学部教授

編集部から与えられたテーマであるが、結論からいえばベーシックインカム(以下、BI)のみでは最低生活保障機能は担えない。現時点でBIは社会保障制度の代替的手段というより、「漸進的な改革のための急進的な思考」(武川正吾、2005「訳者まえがき」、T・フィッツパトリック、1999『自由と保障』)と捉えることができる。

フィッツパトリックの定義によればBIとは「毎週ないし毎月、すべての男性・女性・子どもに対して、市民権に基づく個人の権利として、すなわち、職業上の地位、職歴、求職の意思、婚姻上の地位とは無関係に、無条件に支払われる所得」である。とくに「それだけで生活するのに十分である」給付額なら完全BIすなわち「純粋な形態」の最低所得保証となる。

完全BIの実現により、社会保険からは十分な給付を得られない人、資力調査や親族への扶養照会に抵抗があり生活保護を申請しない人などにも十分な所得が保証でき、既存の社会保障を代替し、さらに人々を労働から解放する可能性が期待されている。

しかし完全BIでも最低生活保障を担うのは難しい。理由は3つある。

第1に「最低所得保証」は「最低生活保障」とは異なる。最低生活保障は、憲法25条の生存権「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を実現するためのものである。最低所得が保証されても、質・量が担保された医療・介護サービス、人々の自立助長、生きづらさやさまざまな障がいを抱える人の社会参加を支援する福祉サービスが入手困難なら、最低生活は保障されない。つまり完全BIだけで、これらのサービスを提供する現行の社会保障を代替するのは難しい。

第2に、世帯単位で完全BIの給付額を設定するのは難しい。日本版BIについていくつかの試算があるが、多くは個人単位である上、その給付額には大きな開きがある。どの額であれば、世帯単位で最低所得を保証できるのか、その設定は、既存の社会保障が提供するサービスを所与としても、専門家ですら頭を悩ませる。実際、筆者も参加した、本塾大学経済学部の駒村康平氏を座長とする厚生労働省「生活保護基準の新たな検証手法の開発等に関する検討会」では2年にわたり議論が積み重ねられた(詳細は最近公表された最終報告書を参照されたい)。

その議論を踏まえると、たとえば1人あたりの完全BI給付額を求め、単純に世帯員数をかけても、世帯に働く規模の経済性や各年齢・地域・世帯類型固有の生活上のニーズの違いにより世帯単位のBIには必ず過不足が生じる。その過不足を、どう制度として調整するのか。これが世帯単位での給付額設定の難しさの一例である。

第3に財源調達の難しさである。いま仮に平均所得の50%が平均的世帯の最低所得保証額(完全BI)として妥当であるとしよう。そして完全BI以外の公的支出に必要な税率をx%としよう。30年以上前にA・B・アトキンソンが指摘したように、BIの財源を含め必要な平均税率は50+x%となる。このように完全BI実現のための税率の高さ、すなわち財源調達(そして政治的合意)の難しさは、BIのアイディア自体200年以上前に生まれたにもかかわらず、いまだ完全BIが実現されない理由のひとつである。実際、住宅に対する給付も考慮に入れた場合の生活保護給付額より低い、1人月額7万円のBIでも年間106兆円かかり、医療・介護を含めた現行の社会保障給付費総額の9割の規模に達してしまう。

もっともインフレが起こらない限り、赤字国債を発行し続け、BIに必要な財源を調達するアイディアも提案されている。しかし、その前提条件が崩れ、インフレが起こればBIの実質額は下がる。しかもインフレ下では完全BIの実質額維持のためのさらなる赤字国債は発行できない。結果的にこの財源調達方法によるBIは、最低所得保証の観点からみても不安定な制度となる。

さて、コロナ禍での困窮対策を問われた首相は、最終的には生活保護という仕組みがある旨、1月末に答弁した。実際、生活保護に至るまで、各種社会保険以外に、生活困窮者自立支援制度(住居確保給付金など)、年金生活者支援給付金など、既存の社会保険や公的扶助とは異なる最低生活保障のための新制度が近年整備されている。就労すると給付額が減らされる生活保護制度の課題も、勤労控除の見直しや就労自立給付金が創設され対処されている。生活保護を申請した場合の扶養照会の運用見直しも2月末に行われたところである。最低賃金も生活保護の水準に達するよう引き上げられた。さらに子どもや障がい者など、特定の属性をもつ人々に無条件に提供される既存の社会保障給付は「部分BI」と整理できる。これらを考えると最低生活保障の漸進的改革とBIの急進的な考え方は軌を一にするともいえる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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