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【時の話題:ベーシックインカム考】
AI時代になぜベーシックインカムが不可欠なのか?

2021/04/21

  • 井上 智洋(いのうえ ともひろ)

    駒澤大学経済学部准教授・塾員

ここ数年のベーシックインカム(BI)に関する議論の高まりの背景には、AIブームがある。AIによって雇用が減り、格差が拡大するので、最低限の生活を保障するためにBIが不可欠になるというわけだ。

アメリカでは既にITによって中間所得層が従事するコールセンターや旅行代理店のスタッフ、経理係といった事務労働の雇用が減っている。それに対し、低所得層が従事する肉体労働や高所得層が従事する頭脳労働の雇用は増大している。経済学では、このような現象は、労働市場の「両極化」と呼ばれている。

日本でも、アメリカほどではないにせよ、やはり労働市場の両極化が起きている。そのために、中間所得層が減少して、二極に分化している。低所得層と高所得層はいずれも割合が増えているが、低所得層の方がより増大している。端的にこれは貧しい人が増えていることを意味する。

アメリカでは、既にITが中間所得層の仕事を奪ってきたのだが、今ではAIが高所得層の仕事を奪い始めている。具体的には、証券アナリスト、保険の外交員、資産運用アドバイザーといった金融関連の職業である。金融業は数値データを扱う生業であり、そもそもコンピュータは数値データを扱うのが得意だからだ。

ロボットがAIを組み込まれることによって高度に発達すれば、肉体労働に従事する低所得層の仕事も減少していくだろう。ただし、それは10年くらい先の話だ。肉体労働を自動化するには、AIという頭脳部分とロボットという肉体部分の両方が必要であり、しかも相互に連携させなければならないから、それだけ開発には時間がかかる。

物流を例にとって考えよう。「運送」を自動化するには自動運転トラックが必要だが、まだ実験段階だ。物流倉庫の仕事のうち、「搬送」(商品を運ぶこと)の自動化は既に実現しているが、「ピッキング」はまだほとんど手作業で行われている。

ピッキングというのは、倉庫内の商品棚から商品を取り出す作業だ。今のロボットは、人間並みの器用なアームを持っていないので、ピッキングが難しいのである。

2017年、政府の「人工知能技術戦略会議」は、2030年までに物流を完全無人化する計画を発表した。だが、実際には2030年には、物流のほぼ完全無人化を実現するための技術が出そろうといった程度であろう。

そうした技術が普及するにはそれから15年くらいかかるとするならば、ほぼ完全無人化が実現するのは2045年くらいということになる。「ほぼ」と言っているのは、物流のあらゆるプロセスをモニタなどで管理し、不測の事態が起きていないかをチェックする仕事が人間に残されるからだ。

いずれにしても、肉体労働が減り始めるのは、2030年くらいと見ていいだろう。一方で、新しい職業が増えていくのではないかと考える人も多いだろう。確かに、近年新しい職業は増えているし、今後さらに増え続けるはずだ。ここ数年を見ても、YouTuberやTikToker など、今までになかったクリエイティブな職業が増えている。しかし、そういった職業では、一部の成功者だけがたくさん儲けて、残りのほとんどの人は小遣い程度しか稼げていない。

芸人やミュージシャンでもそうだが、クリエイティブ系の職業では、年収10万円以下が最大のボリュームゾーンとなる。年収10万円以下の仕事がいくらあっても、それは雇用があると言えるだろうか? 失業してなかなか職にありつけないという人に、「YouTuberになればいい」などと助言したら怒られるだろう。

こうして今後AI(とロボット)の普及によって多くの労働者が職に就けないとか、十分な収入が得られないといった事態が発生する。そうであれば、既存の社会保障制度は、機能不全に陥ることになる。というのも、既存の制度では、ニートとかワーキングプア、長期的失業のような状況が想定されていないからだ。

今でもその点において社会保障制度は問題含みだが、AIが普及すればその問題が著しく大きくなっていく。すなわち、多数の人々が生活保護の対象となる。生活保護は、救済に値する者としない者を選り分ける選別主義的な社会保障制度だ。AI時代には、生活保護の対象者が劇的に増大し、そうした選別は困難となる。したがって、この時代にはあらゆる者を漏れなく救済する制度が必要となる。それこそが、普遍主義的な社会保障制度であるBIだ。

これまで、貧困に直面する者が少数だったので、一般にBIが知られることはなかった。AI失業が一般化する2030年くらいになってようやくのこと、BIが不可欠な制度であることを人々は理解するようになるだろうと私は予想していた。

だが、コロナ危機が時代を10年早めてしまった。AIによる失業や貧困が一般化するずっと前にコロナによる失業や貧困が人々に脅威を与えているからだ。コロナ危機によってBI導入が不可欠ではないかと思う人々が世界的に増えているのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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