三田評論ONLINE

【時の話題:ベーシックインカム考】
「ベーシックインカム」と「ベーシックサービス」

2021/04/21

  • 井手 英策(いで えいさく)

    慶應義塾大学経済学部教授

所得格差はなぜ悪か。それは、生きるため、くらすために必要なサービスを利用できない人を生むからだ。貧乏な家に生まれたという理由だけで病院や大学にいけない社会は理不尽である。理(ことわり)に従って生きるのが学者である以上、僕はそんな社会をだまって見過ごすわけにはいかない。

これが自著『幸福の増税論』のなかで「ベーシックサービス(BS)」を提唱した理由だ。医療・介護・教育・障害者福祉、これらの誰もが必要とする/しうるサービスをBSと定義し、所得制限をつけず、すべての人たちに給付する。つまり、幼稚園や保育園、大学、医療、介護、障害者福祉、すべてを無償化するという提案だ。

これは単なる思いつきではない。近世の共同体では、警察、消防、初等教育、介護といった様々な「サービス」を、全構成員が汗をかきながら、みんなで提供しあってきた。みんなの需要をみんなで満たしあう、この「共同需要の共同充足」の原理を国のレベルで実現するのがBSの基本思想だ。

読者は「ベーシックインカム(BI)」との違いに戸惑うかもしれない。BIは、所得制限をつけずに、すべての人びとに「現金」を給付する。生活保護の申請をためらい貧しさに耐える人たち、申請はしたものの後ろめたさに苦しむ人たちをなくすことができる。

だがこれは、ベーシック、つまり、すべての人を対象とする給付のメリットであって、「インカム」の長所ではない。みんなが大学、病院、介護施設に行けるようになるBSにも同じ効果がある。教育扶助、医療扶助、介護扶助が不要になり、救済される後ろめたさは消え、生きるコストは劇的に軽くなる。

ではなにが違うのか。それは、「実現可能性」だ。昨年の特別定額給付金を思いだそう。一律10万円の給付は13兆円の予算を必要とした。一方、一昨年の幼保無償化は約9000億円。BIと違ってBSは必要な人しか使わないからはるかに低コストですむのだ。

母1人、子1人の「ひとり親世帯」を考えてみたい。13兆円あれば、年間20万円のBIが給付できる。だが、大学の授業料は、平均400万円。20年貯蓄してやっと1人分の学費になる計算だ。いらない人にも現金は配られる。幼稚園と大学を出た人は、再び入り直すことはない。この差が巨額の財源の差となって跳ねかえってくる。

BSならこうなる。大学、介護、障害者福祉を無料にし、医療費の自己負担も現状の3割から2割にさげる。住宅手当を創設し、月額2万円を全体の2割、1200万世帯に給付し、リーマン危機時に350万人に達した失業者を念頭に月額5万円を給付する。これで13兆円だ。最低生活保障を徹底しながら、全体の生存・生活コストを思い切って軽減する政策と、富裕層にも10万円配る政策、どちらが合理的だろうか。

ILOはBIを実施すれば、GDPの2~3割のコストがかかると公表した。実際、月額7万円の給付を行えば、それだけで国の予算とほぼ同じ100兆円の財源が必要となる。消費税なら税率が45%に跳ねあがる。既存の社会保障をBIに置きかえるのはどうか。医療費や介護費は10割自己負担になる。年金も消失して7万円の給付に変わり、生活保護は12万円から7万円にさがるかもしれない。では、毎年100兆円を借金する案は? 急激な円安が進み、ハイパーインフレという「見えない増税」が次世代を直撃するだろう。

BSの無償化なら、消費税を6%引きあげるだけですむ。100円のジュースは、現在の110円から116円になる。代わりに、すべての人びとが生活不安から解放される社会になる。財政を危機に陥らせてまで金を配り、自由の名のもとに自己責任を押しつける社会ではなく、連帯し、痛みを分かちあいながら、自分と他者の幸福を調和させる、そんな人間の顔をした、分厚い社会を生みだすことができる。

AIが雇用を奪うからBIを、という議論がある。発端は米国で10~20年以内に労働人口の47%が機械に代替される可能性を示したフレイ&オズボーン論文だ。だがこの議論は過去のものだ。著者も議論の限界を認め、機械に代替できない高度な仕事を人間が請け負うため、全体の雇用量は変わらない、という議論が主流である。

人工知能学会の山田誠二元会長はAIが雇用を奪うという議論は「噴飯もの」だと非難した。何十億年をかけて私たちが手にした合理性を数十年で機械が乗り越えるという議論は、人類への敬意を忘れている、と。

少し前はBIが政治を席巻していたが、最近、与野党はBSを政策の柱にすえ始めている。世界でも“Universal Basic Services” という用語が急速に広がりつつある。「実現困難な大改革」と「実現可能な大改革」──この差異は、現実の政策を考えるうえでの違いであるのと同時に、根底にある人間観、社会観の決定的な違いでもある。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事