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【時の話題:生殖医療の現在】
生殖医療、その可能性と問題点

2021/02/18

  • 末岡 浩(すえおか こう)

    慶應義塾大学医学部臨床遺伝学センター非常勤講師、日本受精着床学会代表幹事・塾員

生殖医療は不妊で悩むカップルに対する医療として開始された。現在では不妊患者への対応のみならず、遺伝病に対する着床前遺伝子診断や再生医療における生殖細胞の応用技術など、多様な広がりを見せ、広く生殖医療と呼ばれるようになった。その歴史の中で慶應義塾は世界における発展に大きく寄与してきた。

慶應義塾が先導してきた生殖医療の歴史は、安藤畫一教授の下、飯塚理八教授らを中心に活発に先進技術が開発・導入されたことに始まる。1949年に精子を子宮内に注入する人工授精(AIH)によって最初の生児が得られ、1958年には精子の凍結保存技術の開発から妊娠を成功させたことがきっかけとなって世界の生殖医療のメッカとなった。更に1982年に体外受精研究を目的に日本受精着床学会が信濃町の北里講堂で発足し、この発展に主導的役割を果たしてきた。体外受精技術で生まれる児は年々増加し、生児の16人に一人の割合となり、少子化対策に大きく貢献することにもなった。

1978年には英国で初の体外受精による児が誕生し、すでに40年余りが経過した。エドワーズ博士は30年を経過して死の直前にノーベル賞を授与されたが、体外受精の技術はさらに医療の選択肢を大きく広げてきた。排卵誘発法による安定的な成熟卵子の確保、腹腔鏡手術から経腟超音波装置の開発による傷のつかない採卵法への進化、胚の長期培養などに次いで、1990年代には通常の体外受精では困難な重度の男性不妊などに対して、顕微鏡下に精子を卵子に注入する顕微授精の技術が作られ、大きく受精効率の改善に貢献した。

生殖に用いられる細胞は精子、卵子、受精卵(胚)であるが、卵巣組織も加えて、これらの細胞を安定的に確保するために凍結保存技術が発展を遂げている。排卵誘発で多数の卵子が採取できた際に余剰胚を凍結保存することが多く行われるようになった。我が国では1989年に我々の関連施設である東京歯科大学市川総合病院で初の凍結保存胚による双胎児の誕生に成功したが、現在体外受精で生まれる児の70%が凍結保存胚によってもたらされている。また、がん患者が化学療法や放射線療法によって生殖機能を失うため、治療に先立って生殖細胞を保存することもできる。凍結保存はマイナス196℃の液体窒素内で保管されるため、長期間の保存が可能となり、回復後に妊娠を可能にする手段になる。一方、細胞凍結後に故人となった場合の保存細胞の取り扱いが課題となり、その細胞を用いて妊娠する死後生殖という問題も新たに発生する原因になった。

生殖医療は生物学的には細胞から発生する個体を妊娠に導く作業であるが、この本質は遺伝子の継承への作業である。遺伝病の家系の苦悩に対して生殖医療の新たなアプローチが行われてきた。X連鎖性遺伝病に対してX染色体を有する精子を遠心分離して発症する可能性のある男児を防ぐ人工授精法の開発が1980年代に始められた。この方法は男女産み分けにつながることから、その適応に関しては社会的な意見が多く寄せられた。さらに胚の段階で遺伝子解析をして遺伝病の発症を防ぐ着床前遺伝子診断の開発に至った。体外受精で作成した胚から細胞の一部を生検し、遺伝子を十分に増幅した上で解析する技術である。我々が日本で初の生児の獲得に成功したのが2004年であった。この技術も生命の選別への懸念から極めて長期の倫理議論を経て承認された経緯があったが、現在までに重篤な遺伝病や流産防止のための遺伝子や染色体の解析が行われてきている。この分野は益々の発展が予測され、今後病気の変異遺伝子に対して遺伝子改変を行うゲノム編集や、ミトコンドリア病遺伝子変異を多く有する卵子の核を健常な提供者卵子へ移し替える核移植などの技術が研究として導入される方向にある。

精子・卵子・胚の提供、および代理母など非配偶者間で行われる生殖医療に関してもこれまで多くの議論がある。1949年に無精子症に対して提供精子による人工授精(AID)が慶應義塾大学病院で最初の女児の誕生したことに始まる。当時も社会の意見に耳を傾け、慎重なプロセスの中で開始された。近年、生物学的な親を知る権利(出自を知る権利)や告知の問題など単純には解決できない課題は存在するが、他に代替手段がないことも事実である。卵子提供では生殖年齢の概念を変えた事実がある。若年女性の提供卵子で双胎児を出産した最高齢の女性は実に70歳である。閉経した後の女性でもホルモン剤の投与によって妊娠出産が可能であり、人生観も大きく変わることになる。LGBTの生殖医療に対する対応も課題である。また新たな試みとして子宮摘出女性に提供者の子宮を移植して妊娠する子宮移植の報告もあり、さらなる選択肢が増加している。

生殖医療は生命の原点に向き合うため、技術の発展がもたらす多様な選択肢に議論は尽きない。導入する上で適用の範囲を含め、十分な議論が必要であることも事実である。その上で必要とする人々のために、安全で享受しやすい医療の発展と環境づくりが求められる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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