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【時の話題:香港── 一国二制度のゆくえ】
英国、欧州からみた香港問題

2020/10/20

  • 鶴岡 路人(つるおか みちと)

    慶應義塾大学総合政策学部准教授

香港の行方に旧宗主国である英国が関心と懸念を持つことは当然だろう。返還から23年がたち、香港の「英国らしさ」は少なくなったかもしれないが、見捨てるわけにはいかない。そして英国は、1984年の英中共同声明で、返還後50年間、香港の自由を確保するための「一国二制度」を中国に約束させた当事者である。

欧州にとっての香港問題は、一義的には表現の自由に代表される基本権の問題である。中国における知識人への締め付けや、新疆ウイグルの問題などへの懸念は従来から高まっていた。

そうしたなかで中国政府は、国家安全維持法を制定し、今年7月1日に香港に適用した。これにより、国家の安全を脅かす行為が広範に取り締まりの対象となり、市民運動や当局を批判するような言論がすでに大きな制約を受けるようになっている。一国二制度への挑戦であり、「香港はもはや香港ではない」とされるゆえんである。

英国のジョンソン政権は、対抗措置として、英海外市民旅券(BNO)を所持するか申請資格のある香港人――返還前の出生者――の英国受け入れを発表した。従来は6カ月の滞在のみだったが、就労・就学を含む5年間の滞在が認められることになった。加えて、この当初の5年間の後には永住権の申請が、そのさらに1年後には市民権の申請ができることになった。対象は、300万人弱のBNO有資格者と、その子供等の一部扶養家族とされた。英国政府は、最大20万人が英国に移住する可能性があると試算している。

香港市民の権利については、1997年の返還時にも議論されたが、結局は極めて制約の多いものになった。今回は、条件の大幅緩和である。移民問題は政治的に常に機微であり、EU離脱の原因の1つにもなったことを考えれば、香港市民受け入れが迅速に決定されたことは特筆すべきである。その背景には、新型コロナウイルス対応などで英国の対中感情がすでに悪化していたことや、野党労働党も大胆な措置を求めていたとの事情が存在する。

独自の措置に加えて英国は、「ファイブ・アイズ」と呼ばれる、米・英・豪・カナダ・ニュージーランドの5カ国によるインテリジェンス協力の枠組みを使った対中包囲網の構築にも主要な役割を果たした。今年1月末にEUを離脱した英国としては、積極的な外交を行うことで、「グローバル・ブリテン」を内外に誇示する意図もあったのだろう。

欧州(EU)では当初、香港は「英国の問題」だという空気があった。それでも、表現の自由、報道の自由が侵されるなかで、踏み込んだ対応を求める声が強まった。その背景としては、英国同様、香港問題が表面化する前から始まっていた、欧州における対中感情の悪化が指摘できる。

EUは7月24日付で香港に対する制裁を承認した。各国の措置とEUとしての措置のパッケージであり、香港市民に対する庇護・移民・査証等の措置の検討、抑圧、通信傍受、サイバー監視等の機器の香港への輸出制限、奨学金、学術交流強化の可能性、市民社会への関与強化、香港との新たな(経済)交渉の停止などが主な内容である。

米国の制裁と異なり、中国本土に対する措置が含まれなかったことから、効果は限定的だとの批判もある。しかし、実際に制裁に踏み切った諸国は世界でも数少ないだけに、EUの行動は注目される。各国と香港との犯罪人引渡条約の停止も相次いでいる。

さらに、制裁の決定文書は、「国家安全維持法の内容と制定過程は、中国の国際約束遵守の意思に疑義を生じさせ、信頼を損ね、EU・中国関係に影響する」とも述べていた。香港問題が、欧州・中国関係全体を損なうとの警告である。

近年、EUは自らが比較優位を持つ経済的手段を使って、対中姿勢を硬化させている。投資審査の強化と、国有企業(外国政府による補助金)問題への厳格な対応が、「EU流」の対中包囲網の中核である。これらは中国企業のみを対象としたものではないが、中国が標的であることに間違いない。

さらにコロナ危機を受けて、サプライチェーンの多角化による欧州経済のレジリエンス(強靭性)向上が課題になっている。まずはマスクや医療物資に注目が集まったが、課題自体は中・長期的なものであり、多様な物資や技術が対象になり得る。日本を含めた価値を共有するパートナー諸国との連携強化に加え、製造拠点をEUに戻すことも選択肢になる。

これは、「開かれた戦略的自律」とも呼ばれる。閉鎖的な自給自足体制を目指すものではないが、対中依存の引き下げが鍵となる。重要な技術の保護やデータの扱いなど、米欧さらには日米欧での協力が求められる。

香港問題をきっかけに、欧州・中国関係が変化し、香港・中国問題をめぐって米欧関係も動く可能性がある。日本にとっても重要な局面だといえる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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