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【時の話題:コロナ禍と芸術】
オーケストラの悲鳴

2020/07/20

  • 平井 俊邦 (ひらい としくに)

    公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団理事長・塾員

日本フィルハーモニー交響楽団は、政府の2月26日付文化イベント自粛要請を受け、お客様と演奏者の健康を守ることを第一義に、2月29日以降の演奏活動を全て自粛した。6月末までの実に47公演を中止。加えて、45年間継続した、子供と家族3世代で楽しむ「夏休みコンサート」18公演も中止を余儀なくされた。 

毎月の収入はゼロ、楽団維持のための固定費は月5千万円と、事態の長期化で経営は逼迫。社会的距離の規制等で完全な形での演奏活動の再開の目途が立たない現在、2020年度は4億円を超える赤字を抱える。その結果3億円超の債務超過に陥り、日本フィルは、〈楽団存続の危機〉を迎えてしまう。

楽団の経営を維持し事業を継続するためにはキャッシュフローの確保が必須。幸い金融機関の理解が得られ4億円の借入枠の確保の目途がつき、1年程度の活動が保証された。この間に次の手を打つ以外にない。もともと処遇の高くない楽団員も自ら給与カット、定期昇給や賞与なしを決意して、「日本フィルの活動を存続させてほしい」と、なりふり構わず寄付等の支援を世に訴えはじめた。

楽団員は、2月下旬より集っての練習ができず、各自で研鑽に努めて来た。しかしオーケストラとは、アンサンブル力を高めることで演奏に磨きをかけていく集団である。64年にわたって築き上げてきた日本フィルの伝統あるサウンドを何としても守らねばならない。そしてまた、お客様に音楽を届けられないことに楽団員は皆苦しんでいる。日本フィルは音楽を通して多くの人々との交流を大切にし、身近な場所に音楽を届けてきた。「音楽を介したコミュニケーション」そのものが分断され、生活の周りから文化が消えていく危機すら感じている。音楽文化全体が危機に直面していると言える。

コロナ禍で世界中の演奏家が続々と演奏のネット配信を始めた。新日本フィル有志のテレワーク動画「パプリカ」は100万回を超す再生回数となり、ステイホームの人々の心に灯を燈した。日本フィルも、テレビマンユニオンとの協働で、過去の演奏映像を「クラシックちょい聴き」として公開。テレビ局の支援のない楽団、合唱団など多くの団体も参加し、繋がりの輪が出来た。

日本フィルが東日本大震災以降293回続けてきた「被災地に音楽を」の訪問活動も休止となったが、6月に入り、交流のあった宮古高校吹奏楽部とオンライン座談会を試行。演奏が出来ないと悲観していた高校生が、真摯に向き合う演奏家との対話で生き生きとした顔に変わった。コロナ禍を克服する音楽の力の一端を見た。

そして6月10日、永い公演自粛のトンネルを抜け、サントリーホールとの共催で「とっておきアフタヌーン・オンラインスペシャル」(無観客公演、有料ライブ配信)を開催。日本のオーケストラの公演再開の先駆けとなった。政府等の公的ガイドラインを守り、弦楽器21名の❝ソーシャルディスタンス・アンサンブル❞が広上淳一指揮のもと、演奏会正常化への長い道程の第1音を奏でた。

コロナ禍は日本フィルのみならず、オーケストラ業界全体の経営を根底から危うくした。各楽団は年間2〜5億円程度の損失が予想され、債務超過になるところ、ならなくても正味財産の大きな毀損が生じる。業界全体の損失は数10億円に達するのではないか。

総事業費を演奏料収入では賄えず、助成金、寄付金、協賛金等の外部資金で収支を合わせているのがオーケストラの経営実態である。大きなスポンサーを持たない大都市型自主運営の楽団は、収入に占める演奏料の比率が高く6、70%に達する。演奏会の中止は当然損失額を大きくし、悲鳴の度合いは高くなる。個別団体の危機であるが、業界全体もまたこの負の遺産を抱え長い間苦しむことになる。これは音楽団体だけでなく、文化芸術団体が被っている危機でもある。

また、オーケストラのほとんどが公益財団法人であり、年間の収支をトントンにしなければいけないという「収支相償の原則」に縛られている。その上、正味財産300万円を2年連続で下回ると解散となる厳しい制度だ。経営努力を遥かに越えたこのような事態の対処には、資格喪失の猶予期間の設定と併せ永久劣後ローン等、国による大幅な資本注入が必要である。企業救済の手段であるが、収益を生むことの出来ない文化芸術団体にこそ適用されるべきではないか。文化芸術の毀損を最小限に抑えることが今、問われている。

コロナ禍の中で文化芸術のなくなった世界がいかに空虚で乾いた世界であったか我々は思い知らされた。文化芸術が生活の中でなくてはならないものであり、心の健康に必須であることを痛切に突き付けられた。

「社会・経済・文化」を同列にコロナ禍に臨んだ国もある。文化芸術の重さをもう一度考える時ではないか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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