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【時の話題:ブレグジットの後で】
開かれた学界の今後

2020/05/22

  • 中島 千鶴 (なかじま ちづ)

    英日法律協会会長、ロンドンメトロポリタン大学名誉教授、英国三田会副会長

「マードレミーア!」。欧州議会勤務でスペイン出身の娘婿からまだ明け方であるロンドンに入ったメッセージで国民投票の結果を知った私と偶然出張で滞英中の娘は、しばし言葉が出なかった。僅差であれEU離脱という残留派はまだしも離脱派も驚く結果からすでに約4年。キャメロン首相辞任後、メイ内閣を経て現職ジョンソン首相のもと今年1月末英国はEU離脱へ。EUと今年末までに具体的「離婚」条件を交渉しなければならないが、英国政府はたとえ決裂し“no deal” であってもブレグジットを決行するという強硬な態度を取り続けている。国民投票以来2度の総選挙を経ても離脱条件が不明確な中、離脱派・残留派に拘らず国民はブレグジット疲れしていた。そこへコロナの襲来。現在は英国・EU両サイドともブレグジットどころではないのが正直なところだろう。

中高時代及び社会人として通算40余年を英国で過ごしてきた私だが、国民投票以来の過去4年間を学界の視点から振り返ってみたい。当地の大学は数校の例外を除き全て国立だが、国際競争力を保つため従来世界各地から教員を採用した結果、多くはEU出身者である。国立とはいえビジネススクール等は人材を誘致するため全国均一の給与体系から外れ、学界には稀な高給を出す例が増加。EU加盟国によっては大学教員の給与が政府により規制されているため、英国の給与水準と離脱投票以前の強い英国ポンドに惹かれ、地中海の太陽を捨てて当地にやって来る南欧の学者と共に、英語に堪能なEU北部の学者も英国の大学は数々誘致した。

離脱派勝利直後、英国の反EU気運向上を恐れ、EU出身者が帰国あるいは他のEU諸国に移住することが予測されたが、島国根性丸出しの離脱派のご機嫌をとる政府の態度に嫌気が差し、EU諸国のみならずカナダやオーストラリアにまで移住する英国人の学者仲間もいて頭脳流出が懸念された。反面、高給取りのEU出身者のポストが空いて自分達に回って来ると喜ぶ生粋英国人の同僚もいた。英国も日本や他の先進諸国と同様、少子高齢化が進む中、学生数つまりは学費収入確保も諸大学の課題の1つだ。離脱後、EUの学生がEU域外の留学生と同額、つまり英国内の学生の3倍の学費を課されるのを懸念すると共に学位取得後就労ビザが必要となれば、英国での就職が難しくなる。それを恐れて当地への留学を避けることを予想して諸大学はEU域外からの留学生誘致に力を入れている。

その結果、大学によっては学生の90パーセントが中国人留学生だ。英国政府の方針で市場競争導入を強いられた結果ではあるが、誰も予期しなかったコロナのおかげで海外留学生が来年度は激減する恐れがあり、大学は危険分散をせず1つの市場に頼る怖さを痛感している。国際協定において慶應義塾大学は先駆的存在であるが、英国でも離脱対策としてEU域内も含め、世界各地の諸大学と協定を結び、ダブルディグリーを実施する大学が増え、海外にキャンパスやオフィスを構え現地で講座を提供する大学もある。更にはコロナのおかげで大学だけでなく全教育機関がオンライン化を強いられた現在、今まで不調だったオンラインコースが息を吹き返すかもしれないが、学生にとって現地での経験がコース選択時の大きな要因であるため、一過的なアピールかもしれない。

EU加盟国でいる間もユーロ圏に入らず、シェンゲン協定にも合意せず、自国の通貨と国境を守り続けた英国。政治上はEU予算負担金及びEU拡大後の東ヨーロッパ加盟国からの移民の急増等を離脱の理由に挙げてはいるが、背後には地理的にヨーロッパ大陸の一部ではない英国が、アイルランド以外は大陸諸国で形成されるEUの域内に存在する居心地の悪さがあったのだろうか。幼稚舎2年から英国とヨーロッパが研究対象である父(故田中亮三慶應義塾大学名誉教授)と共に毎夏英国とヨーロッパ大陸をバスで走り回り、欧州諸国が国境を接し地続きであること、争い続きの過去を反省し平和共存の実現と維持の成果を肌で感じると共に、島国育ちの私にはガイドや運転手が各地の言葉を自由に操る姿を見て羨ましく感じた。中等部1年1学期を終えたところで父のケンブリッジ大での研究に随行、英国で中高を終え帰国子女第1期生として法学部法律学科に入学まで、欧州の一部である英国に住めるのはなんと幸運かと常々思っていた。

EUと一筋縄では行かない交渉を続ける英国政府であるが、超コスモポリタンなロンドンを見る限り英国とEUとの相互依存度は引続き高い。世界全体がコロナ危機に直面し国際協力が必至な中、EUの一員として生まれ育った有権者たちが、近隣諸国との協調が不可欠であることを再認識し、許容力のある社会を維持する道を選択してくれることを期待する。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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