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【時の話題:ブレグジットの後で】
英国のEU離脱は歴史の必然か?

2020/05/22

  • 坂本 達哉(さかもと たつや)

    早稲田大学政治経済学術院教授、慶應義塾大学名誉教授

英国の欧州連合(EU)離脱をアンチ・グローバリズムの文脈でとらえる見方がある。ジョンソン首相をトランプ大統領と同一視する論調も目立つ。以下では、それとは別の視点からこの問題を考えたい。

現在、英国・EUともに新型コロナ問題が深刻化し、ジョンソン首相が発病するなど予断を許さない状況であるが、英国民の選択が変わることはないだろう。事実、再度の国民投票による「残留」の可能性を提示した最大野党労働党は、昨年の総選挙で大敗した。

EU離脱を決めた2016年の国民投票は「残留」を訴える保守党キャメロン首相によって行われたが、52%対48%という僅差で離脱が決まった。反対に、保守党のヒース首相が1972年にEUの前身「欧州共同体(EC)」への加盟を決断した後、国家主権の危機を主張する反対派を多数抱える労働党が政権を奪還すると、ウィルソン首相は1975年に国民投票を実施、67%対33%の大差で「残留」が決まったのである。

2つの国民投票のあいだに、英国民の多数意見は「残留」から「離脱」へと大きく舵を切ったのであるが、この41年間に一体何が起こったのか。2つの要因を指摘してみたい。

第1は、「ベルリンの壁」崩壊(1989年)に始まる冷戦の終結である。EUの起点は欧州の戦後復興をめざす「石炭鉄鋼共同体」(1952年)であった。独仏を中心とする欧州諸国はソ連・東欧の脅威を背後に、マーシャルプランと北大西洋条約機構(NATO)による米国の支援を受けながら、軍事と経済の両面で共産主義の防波堤、自由民主主義の砦としての役割をはたした。

大英帝国のプライド(「栄光ある孤立」)を捨てきれない英国が遅れてECに加盟したのは、統一市場の経済的利益もさることながら、米ソ両大国の狭間で自由民主主義と市場経済の盟主となる思惑もあったであろう。ところが1991年、ソ連・東欧の社会主義体制が次々に崩壊した。そのときから、米国・日本とならぶ自由の砦としてのEC・EUの歴史的役割もまた失われたのであった。

第2の要因は、1980年代に始まる「グローバル化」である。EC、EUと拡大・発展した加盟諸国は、ヒト・モノ・カネの国境なき自由移動を実現する第一次シェンゲン協定(1985年)を締結し、困難な外交交渉をへて、統一通貨「ユーロ」(1999年)を実現した。欧州諸国は、米国・日韓中と競合する名目GDP20兆ドル(世界GDPの約25%)を誇る巨大経済圏となり、グローバル化の牽引車となったのである。

ところが、EUのグローバル化には別の問題があった。EUはそれ自体が1個の巨大な関税同盟であり、EU域内で国境なき自由貿易というグローバル化の理想を追求する一方、対外的には高度に排外的な保護と規制のシステムである。加盟国は独自の国益を追求して域外諸国と自由貿易協定(FTA)を結ぶことは許されず、ユーロに参加すれば、為替レートや長期金利を指標とする各国独自のマクロ経済政策を取ることができない。ギリシア等の財政危機が欧州全体の経済危機に連動してしまうのである。

英国は最後までシェンゲン協定にもユーロにも加わらなかったが、その根本的な理由は、それらが英国の国家主権を大幅に制約するからであった。主権の制限は経済政策だけではない。EU法は加盟国の国内法すべてに優越する。2015年以降に激増したシリア難民の受け入れ問題が英国のEU離脱論に影響したことは間違いないが、EU離脱論を排外主義や偏狭なナショナリズムと直結させるのは誤りである。

英国のEU離脱は、ヨーロッパからの離脱ではなく、EUが加盟国に課する国家主権に対する厳しい制限から自らを解放し、英国が全世界の諸国民と開かれた対等な自由貿易関係を確立する可能性に賭けたことを意味する。すべての国民国家が自由貿易の基本単位として相互に開かれた自由貿易体制を生み出していくという、古典的な自由貿易主義の復活である。

冷戦期に世界のグローバル化を先導したEUは、その一層の進展によってその歴史的役割を終えた。英国の主権へのこだわりは「栄光ある孤立」への先祖返りではない。どれほど開かれた自由市場においても、最後は国益と主権が優越することは、コロナウイルス問題で、EU各国がすぐに国境封鎖を決めたことで証明された。シェンゲン協定はウイルスに敗北したのである。

グローバル化はIT革命とともに19世紀の産業革命に匹敵する人類の運命である。これを否定する偏狭なナショナリズムは論外である。人類社会の平和と秩序を保証する枠組みとして、主権国家体制は依然として唯一可能な選択肢である。英国の主権をめぐっては、EU残留を主張するスコットランド自治政府との対立もあり簡単ではないが、主権国家の原点に帰り、グローバル化との可能な限りの両立を模索する英国の選択は他人事ではない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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