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【時の話題:アートの価値・再考】
2020東京大会のレガシーでオリンピックを持続可能に

2020/03/16

  • 太下 義之(おおした よしゆき)

    文化政策研究者・塾員

本稿を執筆している現在(1月28日)、「東京2020」を表現したポスター計20作品を展示する「東京2020公式アートポスター展」が、東京都現代美術館にて開催されている。この「アートポスター」とは、オリンピックまたはパラリンピックをテーマにした芸術作品の制作を国内外のアーティストに依頼し、東京2020大会のポスターとして機運醸成に活用していくものである。

実はこの「アートポスター」のアーティストの選定に関して、筆者は組織委員会事務局から事前にヒアリングを受けている。このヒアリングの背景を推測すると、次のようになる。すなわち、周知のとおり、東京2020大会のエンブレムの白紙撤回と再公募という事態が2015年に生じた。この反省点として、コンセプトに関する議論不足が挙げられたのであろう。そこで、「アートポスター」では、それを回避するため、選定委員会の組成前に有識者にヒアリングを行い、コンセプトを検討するという意図があったのではないか。

このヒアリングに対して、筆者は次のようにアドバイスをしている。そもそもエンブレムではアイコンとなるデザインを1つだけ選定するというものであるが、「アートポスター」に関しては、むしろ文化の多様性を提示するために、できるだけ多くのアーティストを選定することが望ましい。そしてジャンルに関しても、グラフィック・デザインだけでなく、現代アートはもちろんのこと、マンガ・アニメ、書、写真、アール・ブリュット等、日本のクリエイティビティを表象する分野から複数のアーティストを選定することが望ましい。さらに言えば、各分野の大家ではなく、若手中心に選定することが望ましい、と。

結果として、このアドバイスはほぼ100%採用され、「アートポスター」が選定された。

さて、本稿のテーマは「レガシー」、すなわち、オリンピック後に何を継承することができるのか、という点である。国際オリンピック委員会(IOC)はこの「レガシー」という概念を非常に大事にしている。そして、実はこの「レガシー」と「アートポスター」は密接な関係にある。過去のオリンピック大会の「アートポスター」からは、文化的・芸術的レガシーとなる作品や、時代のアイコンとなるような作品も生まれているのである。

その代表的な事例が、1964年の東京大会でのデザイナー亀倉雄策氏によるポスターであろう。亀倉のポスターは、シンプルな構図ではあるが、それゆえに迫力があり、見る者に強い衝撃を与えた。実は当時、デザイナーという職業名称は一般的ではなく、「図案屋」と呼ばれていたのである。だが、この「アートポスター」がまたたく間に国民に浸透していったことに伴って、「デザイナー」が社会的に重要な職業と認知されていったのである。

ところで、オリンピックの開催、特に2020東京大会において「レガシー」が重視されることには、とても重要な背景がある。去る2017年のIOC総会で、東京の次となる2024年の大会はパリ、さらに2028年はロサンゼルスと、2大会同時に決定された。このように2大会が同時に決定されたのは、1921年の総会で24年大会をパリ、28年大会をアムステルダムに決定して以来、96年ぶりの極めて異例な事態である。なぜ、このような2大会同時という決定がなされたのであろうか。

そもそも、2024年大会の開催都市としては、ハンガリーのブダペスト、ドイツのハンブルク、イタリアのローマ、それにパリとロサンゼルスの計5都市が立候補していた。しかしその後、住民の反対運動等により立候補を取り下げる都市が相次ぎ、結果としてパリとロサンゼルスの2都市のみが残った。慣例ではこの2都市でコンペティションとなったはずである。しかし、仮に2024年の開催都市をコンペで決定した場合、2028年に向けてあらためて公募した際に、はたして立候補する都市があるかどうか、IOCは確証を持つことができなかった。このような事態に対して、IOCは極めて強い危機感を感じているはずだ。

東京でのオリンピックは56年ぶり2回目、パリでは1924年以来100年ぶり3回目、ロサンゼルスでも1984年以来44年ぶり3回目の開催となる。ある都市で最初にオリンピックを開催する場合には、その意義の説明は比較的容易である。しかし、成熟した国や都市が2度目、3度目のオリンピックを開催する場合、その意義については、実は明確な回答が存在しない。それゆえに、IOCはオリンピックが継続できないかもしれないという危機感を抱き、2大会同時の決定をしたのである。

こうした中で2020年の東京が、成熟した都市が2度目(または3度目)のオリンピックを開催する意義を提示することができたとしたら、IOCは日本に大いなる感謝の念を抱くであろう。私たちは2020東京大会の開催を目前にして、オリンピックが未来に何を継承することができるのかについて、あらためて考える必要がある。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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