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【時の話題:文化財の保護と活用】
文化財保護の現場から

2018/08/16

  • 石井 美恵(いしい みえ)

    佐賀大学芸術地域デザイン学部准教授・塾員

1950年に文化財保護法が施行された後、国費で最初に修理された有形文化財は飛鳥時代の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)である。有形文化財の保護方法は保存であり、その手段は修理であるという制度のもと、小袖(着物)は文化庁の管轄で伝統的な着物の「仕立て直し」を基本技術として解体修理されてきた。「修理」とは行政用語で、50〜100年周期で行われる解体補強や、オリジナルを現状維持するための補強部材の入替えによる保存方法を指す。国宝や重要文化財などの「指定」文化財は修理費用の一部を国が補助して手厚く保護をする一方、未指定であれば国立博物館の収蔵品でさえも保存の手立てが講じられない時代が1990年代後半まで続いた。また指定品は修理を経て公開されるが、展示の頻度が増えるために損傷し、補助金で再び修理するという修理サイクルの弊害も生じている。

「予防保存」の考えに基づく環境管理による保存手段は1980年代後半から北米を中心に発達し、2000年代前半に日本に導入された。博物館で予防保存が普及すると、本格的な解体修理をしなくても展示ができるような最小限の処置や、展示器具の工夫による展示が実践されるようになり、文化財への直接的な処置を最小限にとどめる保存修復の考え方がここ15年で普及してきた。特に2011年の東日本大震災での文化財の被災と文化財レスキューや文化財復興の経験で、いかに文化財が地域の大切な拠り所であるかが認識された。そして地域における文化財保護の拠点や住民の協力、地域間の連携の必要性も理解された。博物館の耐震化や改修が増え、地域の文化財拠点化を目指して保存担当学芸員の配置や保存修復室の整備も全国で行われはじめている。つまり、特定の文化財を手厚く保護する文化財保護制度のあり方が転換期を迎えているのである。

この度の文化財保護法の改正議論の主旨は、地域の文化財を地域で保護し、公開を促進して地域活性化へつなげるというものである。文化財の継承者が主体となり、その意思を反映した保護のあり方について筆者が考える契機となった現場の体験を紹介したい。

チ・ウカウカプ(アイヌ語で「私が縫い縫いしたもの」の意)はアイヌ民族の胴着で、2005年に東京国立博物館の依頼により筆者が「修理」した。ただし実施したのは西洋の考え方に基づく「保存処置(conservation treatment)」であり、解体修理ではない。チ・ウカウカプは指定品ではなかったが、アイヌ文化財の国費による最初の案件であり、文化庁のアイヌ専門家がアイヌの人々の代弁者として指導にあたった。その際、チ・ウカウカプは北海道のアイヌ(虻田)首長アカシワッカ(明石和歌助)所用でおそらく家族が「縫い縫いしたもの」であるので、小袖の修理のように縫い糸をほどいて解体しないでもらいたい、という要望を受けた。また東京国立博物館の保存修復課長からは、修理対象品に選定した理由として、これまでの歴史的価値ではなく「鉄媒染(てつばいせん)による損傷」という保存科学的価値に基づく新たな判断であるとの説明がなされた。チ・ウカウカプの保存方針をめぐる議論は日本の染織品の保存修復における転換点になったと筆者は考えている。まず、「指定」であるか否かではなく、また歴史的価値でもなく、博物館収蔵品としての「損傷」を理由にアイヌの服飾品が選ばれたことは画期的であった。文化財保護法はいわば「ヤマト」文化を保護するための法律で、ヤマト文化で継承された修理技術によって有形文化財を保存することを前提としている。そこからはみ出した文化財の保存をどのように考えるかについては、少なくとも染織文化財の領域では議論されてこなかった。前例のない案件を文化財行政官、博物館保存担当者、保存修復専門家の三者が協議した末に採用した方法は、解体せずに劣化した部分全体を布で補強して糸で縫い、糸を解けば元の破れた状態に戻る西洋の保存修復方法と、補強布は小袖の解体修理で行うような伝統的製織技術を用いて製作するというヤマト的な修理の考え方を折衷させたものとなった。

アイヌ文化財と染織文化財の保存領域で新しい扉が開かれた一方で、「アイヌの人々はチ・ウカウカプをどのように残したいであろうか」という思いが筆者の心に残った。いつの日か、アイヌの人々の中から染織品の保存修復を行う人が現れ、文化の継承者としての意思が反映された方法で自ら保存処置を行える時代が来ればと期待する。

文化財保護のあり方は、私たちが何者であったか、何者であるか、そして何者になりたいかを反映する。文化財保護法改正の議論を読みながら、これからは地域の人々が文化財保護の主役として、自分たちの意思を反映させ、地域に適した方法で文化財を保護し、公開活用する時代に変わると感じた。今次の法改正を追い風に、地域の特色ある、多様な文化財保護プロジェクトが各地で展開されることを期待する。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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