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【時の話題:コスプレ文化】
踊るコスプレ

2018/02/01

  • 石井 達朗(いしい たつろう)

    舞踊評論家、慶應義塾大学名誉教授

まだ性転換手術が合法化されていないニューヨーク市で、バレエのチュチュをまとい股間を血に染めた男が、病院に飛び込んできた。手には切り落とした男根を握りしめていた。男はやむにやまれぬ性別違和(ジェンダー・ディスフォーリア)に自ら決着をつけるべく、生死をかけた過激な行動に出たのだ。このとき彼の頭のなかには、女性であることを表象するものとして、白いチュチュしかなかったのかもしれない。そこには、ロマンティックバレエからクラシックバレエに至る流れのなかで、チュチュとトウシューズこそが、フェミニンなものとして意識されてきた歴史的な背景がある(20世紀初頭から現在に至る新しいダンスの流れは、そのような偏ったジェンダー・イメージから自由になろうとする歴史でもある)。

こんな血なまぐさい「事件」ではあるが、コスプレには違いない。他方、チュチュを着てポワントで踊るバレリーナを究極の女性美と考え、コスプレのスペクタクルに転換してきた男たちもいる。1974年に生まれたトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団である。メンバーは全員男性。当然のことながら『白鳥の湖』などを演(や)れば、客席から笑いが引きも切らない。しかし、しっかりとしたテクニックといい、物語をたどる真面目な内容といい、この名作バレエをきちんと研究し、かなりの稽古を積み重ねてきたであろうことがわかる。笑いだけに寄りかからない、体を張ったコスプレなのである。

先鋭的な舞踊団、カナダのラララ・ヒューマンステップスに『アメリア』という傑作があった。男性も女性も同じ黒いスーツをまとい、切り込むような超高速で踊るさまは、舞台にありがちな類型的なジェンダー・イメージを小気味よく霧散させる。あるシーンでは男性がトウシューズを履きポワント(爪先立ち)で踊る。床に錐をもむような鋭いポワントだ。こうなるとこれは男性による女性模倣などではない。バレリーナの天使的なポワントとはまったく別種のものである。衣装や化粧でなく、「身体のコスプレ」がジェンダーを攪乱した瞬間である。

では現代のダンスシーンで歴史に残るコスプレは? と考えてみる。思い浮かぶのはイギリスバレエ界のアンファン・テリーブルであり、反逆児であるマイケル・クラーク。名門ロイヤルバレエスクールで将来を嘱望されるエリートダンサーだったが、伝統バレエを飛び出し、ヌードや女装やゲイテーストなどのコスプレ満載の舞台をつくる。2012年、20年ぶりに来日した彼のカンパニーを観に高知まで出かけ、終演後居酒屋で彼と話した。かつての美青年は体がふっくらして「おじさん」になっていたが、彼の片耳にピアスしてぶらさがる安全ピンに妙に感動した。パンクの象徴である。まだパンク魂健在なのだ。安全ピン=史上最小のコスプレといえるだろうか。

久々のマイケル・クラーク作品で印象に残るのは、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」で踊るシーン。もともとクラークはボウイの曲を好んで使ってきた。ボウイ自身も1972年から73年のツアーで、歴史に残るコスプレをやってのけ、舞台での変幻を繰り返した。グラムロックの金字塔「ジギー・スターダスト」である。異星から降り立った架空のロックスター、バイセクシュアルのジギー・スターダストとは、言うまでもなくボウイ自身を反映している。存在しないバーチャルなキャラをコスプレするというのは、古くはゾンビ、新しくは初音ミクに通底するものがある。ボウイはこの作品でグラムロックの頂点に立ちながらきっぱりとジギーを封印してしまい、以後、新たな展開に身を投じる。コスプレーヤーは昔も今も変わり身が速いのだ。

最後に、最近の日本のコンテンポラリーダンス界の話題作『大野一雄について』について。これはまぎれもなくコスプレである。しかも「超」がつく。大野一雄は2010年に103歳で亡くなった伝説の舞踏家である。舞踊家川口隆夫が、大野の初期の代表作である3作品をビデオ映像を見ながらスケッチし、一挙手一投足まで完全コピーして踊る。舞踏はいまや驚くほどグローバル化し、そこに大野に対する関心の高さが輪をかけ、本作は絶賛され続 け、すでに世界の30以上の都市で公演されたと聞く。舞台上の衣紋掛けには大野が身につけたコスチュームを忠実に再現したものがぶら下がり、川口は観客が注視するなか、着替えつつ踊る。老境の大野が女装して踊った姿のコスプレである。見事なほどによく似ているが、これはやっぱり大野一雄ではない。圧倒的なまでの川口のパフォーマンスなのだ。文字通りの虚実皮膜。川口の心血を注いだ「贋作」は、真情が溢れている。コスプレもここまで創造性がうずいていると、遊びを通り越Fして「アート」に化ける。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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