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【時の話題:禁煙社会】
公共空間と禁煙社会

2017/06/01

  • 大屋 雄裕(おおや たけひろ)

    慶應義塾大学法学部教授

たとえば店内では全裸になるというルールのある飲食店があったとして、それは私の生き方を私自身が決めることの障害になるだろうか。喫煙が義務付けられている喫茶店ならばどうだろうか。私自身はそのどちらにも魅力をまったく感じないが、そのルールが事前に告知されており、「利用しない」という可能性が実質的に保障されている限りにおいて、そのような店舗がこの世のどこかに存在しているとしても私の(そして私同様にそのような行為と無縁に生きたいと思っているすべての人々の)人生に何ら違いは生じないだろう。にもかかわらず、そのような店の存在を公権力によって禁止することは、正当化できるだろうか。

できない、というのがたとえばJ・S・ミルによる「他者危害原理」からの結論だろう。国家がある行為を禁止することが許されるのは、それによって他者に対する危害が生じる場合に限られるというこの考え方は、自分の人生にとって何が必要であり幸福をもたらすかを判断する能力と資格はすべての個人に等しく保障されているという理念にその基礎を置いている。言い換えればこれこそが、すべての人が平等に参加する制度としての民主政と近代社会の礎石(の1つ)なのである。

もちろん、他者危害原理から殺人や傷害が禁止できるのはいいとして、騒音や振動のように危害とまでは言いにくく、だが私が私の人生を享受することの妨げになる可能性のあるもの(ニューサンス)をどうするかが問題になるのは言うまでもない。しかしそれにしても、映画の「爆音上映」や動き・風当たりなどを含めた体感上映が時にヒットになるように、それを好む人が存在するということは否定できないだろう。そういった人々とそうでない(私 を含む)人間が共存する方法は、どこにあるのだろうか。その答がおそらく、空間という物理的な存在にある。

煙という物質が健康に関する私の自己決定を阻害するとして、それを防ぐために必要なのは私の周囲に煙が入ってこないこと・煙のある空間に私が入らない実質的な可能性が保障されることであり、それ以上でもそれ以下でもない。そして、それを確保するために必要なのは煙の有無に応じて空間が分離されることだとすれば、「全面禁煙」と「全面喫煙」は等価である。煙の存在を好む人と好まない人がまったく異なる空間で異なる空気を吸うようにできれば、各個人の考える幸福への可能性を最大にすることができるだろう。

もちろん次の問題はそのように分離できない空間、典型的には道路や公共交通機関などあらゆる人が行き交う公共空間をどのように扱うかにある。ここでは複数の選択肢のうち安全なもの、できるだけ他者の妨害にならない基準が採用される必要があるとすれば、禁煙が選ばれることになるだろう。公共空間とは別に、タバコの煙を心ゆくまで楽しめる空間を実質的に保障するなら、そのような規制もそれぞれの人の人生に対する必要以上の制約にはならないはずだ。このとき、公共空間の規制は私的空間の無規制によって倫理的に正当化されることになる。

副流煙が主たる問題だからそれを閉じ込めないように屋内での喫煙を禁じるという欧州諸国の規制は、美観を理由として路上喫煙を禁じる日本のあり方としばしば対比されてきた。だが前者は同時に、タバコについてどのような考え方を持ちどのような事情があるかわからない人々が存在する公共空間に喫煙を持ち出すことを許すものでもある。そして確かに煙は屋外なら風で流されるかもしれないが、ただちに存在しなくなるわけではないし、喫煙中のタバコの火の危険がなくなるわけではない。欧州型の規制は、異なる人生の構想を持つ人々の共存を可能にする社会とはむしろ逆のものを作り出しており、公共空間より先に私的空間への規制を試みた点に、その原因を見て取ることができるだろう。

特定の限られた空間を一定の指向/志向/嗜好を持つ人々のために区切ることは、その性質が明示されており出入りの自由が許されているならば、多様な人々が共存する公共空間の存在と矛盾するものではない。にもかかわらず、東京オリンピックに向けた受動喫煙対策は、飲食店のように区切られた空間に対してもその一方を大原則として強制するような規制のあり方を提言している。これは少なくとも自己決定の理念に基づく限り正当化困難だし、我々の立脚する近代とは別のものを作り出す結果になるのではないか。

各人の自律を信頼した自由な社会、その基礎となる空間的な区切りの可能性を排除し、公共的に開かれた場の基準であらゆる空間を塗りつぶそうとするとき、「多数派の良識」という信用ならない存在による専制が姿を現わすことになる。それこそがミルのもっとも警戒する対象だったことを、我々は想起すべきだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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