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【時の話題:禁煙社会】
To be, or not to be, is that the question?──衣食住の中の煙草

2017/06/01

  • 西脇 与作(にしわき よさく)

    慶應義塾大学名誉教授

日々の暮らしを支えているのは衣食住。そこに登場するものは、私たちが自由に使える、使わなければならない、使ってはならない等々に分けられる。食べ物や衣服は何を選んでも構わないが、未成年者には酒も煙草も禁止されている。私たちと嗜好品との普通の付き合い方の原則は「いずれでも構わない」というもの。その原則のもと、嗜好品は自由に選択できる。煙草もその1つで、好きな人がいれば、嫌いな人もいる。好き嫌いの争いはわかりやすいが、人間社会は「いずれでも構わない」というリベラルな仕方で嗜好品に市民権を与えてきた。煙草に対する寛容な作法は、好きでも嫌いでも構わない、吸っても吸わなくても構わないというものだった。だが、これが急速に変わりつつある。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、厚労省は受動喫煙の対策として、2003年施行の健康増進法の強化を図る。海外では公共の場を屋内全面禁煙にする国が増え、WHOは日本の対策を「世界最低レベル」と指摘。また、IOCとWHOは「たばこのないオリンピック」を共同で推進している。WHOの報告によれば、世界で毎年60万人が受動喫煙で死亡、厚労省研究班は国内の死亡者も年1万5000人と推計している。

私のような老人には、煙草との付き合い方が昭和と平成で一変したという実感がある。その一例が大ヒットした『風立ちぬ』に頻出する煙草の描写である。NPO法人日本禁煙学会が製作担当者へ送った要望書「映画『風立ちぬ』での煙草の扱いについて(要望)」で、「教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、…数え上げれば枚挙にいとまがありません」と具体的なシーンを挙げ、煙草の扱いに留意を要望。製作側は、表現の自由を脅かす行為にもなりかねない、と応答。煙草の地位の激変を示す紛れもない証拠である。

煙草はナス科のニコチアナ属の植物で、その出生地を辿れば、新大陸に行き着く。人々は煙草を吸う、嚙む、粉にして鼻から吸い込む、という3通りの仕方で主に宗教儀礼に使っていた。鎮静作用などの効力をもつ煙草は、薬湯、座薬、塗り薬などに形を変え、病気治療にも使われていた。日本には16世紀末に鉄砲、キリスト教と共に入ってくる。江戸幕府は煙草禁止令まで出したが、効果なく、元禄の頃には嗜好品として定着した。

儀礼品、医薬品から嗜好品へと煙草の地位は変わってきた。嗜好としての煙草使用の原則は「いずれでも構わない」であり、儀礼や処方での命令や禁止と違って、原則自由にある。そこに、近年重要な役割を演じ始めたのが「健康」。この言葉は「良好な身体状態」を意味する英語のhealth の訳語で、福澤先生の『文明論之概略』にも登場する。だが、明治時代までの身体状態を表す言葉は「養生」。それは「良好な身体状態を維持するためにある行為をしない」という心得である。医学、医療の知識が「消極的な養生から積極的な健康へ」と私たちの意識を変え、煙草が毒、悪を含むものと見做され、その地位は揺らぎ出した。煙草との「共存」は「棲み分け」に変わり、「健康」は煙草自由主義の否定をもたらすのである。喫煙の制限によって煙草自由主義を部分的に守るか、煙草自由主義を部分的に否定し、棲み分けを厳格にするか、選択を迫られる。そのため、私たちは煙草についての「自由主義の否定」と「喫煙作法の変更」とを巧みに混同させることによって、喫煙と禁煙の折り合いをつけようとしてきた。

桶と樽は明確に区別できないが、「桶は樽ではない」という常識を後生大事に守るというのが私たちの習慣である。多くの事柄について「いずれでも構わない」ものが「いずれかでなければならない」ものと考えられてきた。反対に、「いずれかでなければならない」ものが「いずれでも構わない」ものとされてきたこともある。煙草は吸っても吸わなくても構わないと受容されてきたが、遂に医学的な理由が見つかり、喫煙は悪と糾弾されている。煙草の「いずれでも構わない」存在は否定され、禁止されようとしている。

これは嗜好の変化では済まない。現在はまだ嗜好の変化と受け取られ、辛うじて保たれている煙草が絶滅の危機にあるのは確かで、喫煙の自由をさらに制限しようというのが時流。煙草に新効能が見つかれば、煙草の地位は変わるかも知れない。とはいえ、喫煙が「いずれでも構わない」習慣から、「吸うべきではない」禁止事項に変わることを止めるほどのことは今のところ想像しにくい。だから、「吸うべきか、吸わざるべきか、それは問題か?」に 対する解答は、「問題などなく、吸ってはならない」に決しようとしている。

この煙草事情に一抹の寂しさを覚えるのは、かつて私が喫煙を楽しんでいたからなのだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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