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【福澤諭吉をめぐる人々】
和田義郎夫妻

2019/06/27

「親友福澤諭吉涙を揮て之を記す」

明治25年1月、和田は突然病に伏し、脳炎で没した。臨時休業の後、授業の再開に当たって福澤自らが幼稚舎生に行った演説の内容が残っている。福澤の愁傷、落胆がよくわかると共に、まるで父を亡くした子に接する祖父のような心情が伝わるような演説である。

また、福澤は、和田の墓誌を自ら記した。そこには、

「課程の業を授るのみならず、朝夕眠食の事までも内君と共に力を協(あわ)せて注意至らざる所なし。君の天賦温良剛毅にして争を好まず、純然たる日本武家風の礼儀を存す。在舎の学生曾(かつ)て叱咤の声を聞かずして能(よ)く訓を守り、之を慕うこと父母の如くにして、休業の日尚且(なおかつ)家に帰るを悦ばざる者あるに至る」とあり、最後を「親友福澤諭吉、涙を揮(ふるい)て之を記す」と結んだ。

和田は上大崎の白金本願寺(現在の常光寺)に埋葬され、その9年後福澤はその和田の墓のすぐ向かいに埋葬された。今日では、和田も福澤もお墓は移転したが、常光寺には、福澤の記念碑と共に和田の記念碑があり、この墓誌も見ることが出来る。

和田義郎の記念碑(常光寺内)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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