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【福澤諭吉をめぐる人々】
小川武平

2018/10/26

今日の長沼

その後の長沼と福澤家の関わりについては、加藤三明氏が『三田評論』(2008年3月号)で詳しく記録している。筆者は、本稿の執筆を前に、長沼で小川武平の玄孫に当たる小川不二夫氏と面会し、最近の状況について話を伺った。福澤家訪問の習慣は、福澤の死後も続けられたが、平成22(2010)年をもって終了し、現在は、彼岸月の9月に長沼地区の役員が福澤の墓所善福寺に参拝している。また、3月29日の「下戻記念日」に、地区役員と有志が大正7年に建立された記念碑の前で万歳三唱する習慣も続いている。かつては、長沼小学校(昭和34〔1959〕年廃校、同所には長沼保育園がある)から、笛、太鼓の音に合わせ「長沼下戻記念の歌」を歌いながら、村の人総出で碑まで練り歩く、長沼の大事な行事であったという。長沼の人びとが「福澤先生のおかげ」という気持ちを忘れず、長沼事件のことを代々語り継いでいるからこそ、時代は大きく変わっても行事として続いているのである。

長沼は、大戦前から戦後にかけて、かつて所有権を争った近隣の村々とも協力して干拓された。不二夫氏が幼少の頃、水辺の生き物を獲るなどして遊んでいた長沼は姿を消したが、長沼一帯は、今日も美しく豊かな田圃が広がっている。

小川不二夫氏と小川家墓所にある長沼下戻100周年記念碑

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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