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【福澤諭吉をめぐる人々】
松永安左エ門

2018/02/02

人間・福澤諭吉

松永は、すでに戦前、電力の調査研究を重視し、東邦産業研究所(現在のサンケン電気の前身)を柳瀬山荘に近い志紀町(現志木市)に設立していた。戦後、その敷地と施設は慶應義塾に寄付され、志木高等学校となっていく。

松永は、「私個人にとって血となり肉となる教示を賜ったのはとくに福澤先生と祖父である」と言っている。一代で財を成した祖父からは実業人としての心構えを習った。そして、家族からの愛情を一身に受けて育ったことが、ひがみも、おそれもなく真っ直ぐに生きる人間を作り上げたと言って憚らない。一方、福澤の存在は松永にとって余りに大きく、これを一言で語り得ない。晩年、松永は『人間・福澤諭吉』を執筆した。そこには、書名のとおり、温かみのある1人の人間としての福澤諭吉、偉ぶることなく、慈愛に満ち庶民性あふれる福澤諭吉が描かれている。戦後、「天下に評の定まった大福澤」に違和感を覚え、「現実的な先生を語り得る人は、私のほかあまりおるまい」、これを語らねばならぬという使命感が、松永に筆を執らせたのだろうか。

同時期に福澤を語り、姉の言葉を借りて「福澤の偉いところは愛」であると表現した小泉信三の福澤を見つめる視線と重なるものを感じさせる。必ずしも品行方正でなかった松永の生きざまは、福澤精神の厳格な信奉者というよりも天真爛漫な体現者という表現が似合う。松永は、後進の人びとに望むこととして「互助、平等の他愛の精神」(日本経済新聞「私の履歴書」)を挙げた。松永が恩師福澤から学んだ多くのことをあえて一言で表現するとすれば、これが適当なのかもしれない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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