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【福澤諭吉をめぐる人々】
ドクトルチャンブルスとドクトルジョンソン

2018/01/01

「余、殊にこの人と善し」

福澤のロンドンでの視察の特色は、単に先端の産業を見るだけでなく、産業化の進んだ社会の言わば側面・底面を支える仕組みとして、障害を抱えた人達の教育に注目していたことにある。

その点では、チェンバースを介してジョンソンに出会ったことは福澤にとっても幸運であった。

チェンバースは、病院視察から宿泊先のクラリッジホテルまで福澤らを送る途中、丁度同ホテルの向かいにあった自宅でティーに招いたような人であった。ジョンソンについては、養盲院の様子を書き留めた際、末尾に福澤はこう記した。

「院の総督をジョンソンと云う。余、殊にこの人と善し」

最後に、チェンバースとジョンソンの関係にも触れておきたい。

2人は、医学をセント・ジョージズ病院で同時期に学び、同じ年に、成績優秀で表彰されたこともあったことからも、旧知の関係であったことは間違いない。筆者は、かつて大英図書館でチェンバースの著書を調べていて、表紙を開くと左側に「EDMUND.C.JOHNSON」の蔵書印が押され、その右頁には、著者の献辞が書かれている本を見つけたことがある。その献辞には、1887年2月と書き添えられていた。つまり、2人の交流は晩年まで続いたのであった。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです

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